20世紀日本人名事典 「成田安輝」の解説 成田 安輝ナリタ アンキ 明治・大正期の探検家 生年文久4年1月2日(1864年) 没年大正4(1915)年7月7日 出生地薩摩国(鹿児島県) 学歴〔年〕陸士中退 経歴薩摩藩医・成田安秩の長男に生まれる。陸軍幼年学校より陸軍士官学校に進むが、中退して小笠原諸島、米国、アラスカなどに冒険的放浪を続け、のち台湾総督府技師となる。明治34年インドのダージリンを経て、チベットの首都・ラサに入った。これは日本人として河口慧海についで2人めに当たる。日露戦争では特別任務をおびて単身ゴビ砂漠を越え、モンゴルに潜入した。大正4年7月中国・奉天(現・瀋陽)で病没。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「成田安輝」の解説 成田安輝 なりた-あんき 1864-1915 明治-大正時代の探検家。文久4年1月2日生まれ。小笠原諸島,アメリカ,アラスカなどを放浪ののち,台湾総督府技師となる。明治34年インドのダージリンをへてチベットの首都ラサにはいった。日本人として河口慧海(えかい)についで2人め。日露戦争では特別任務をおびて単身ゴビ砂漠をこえ,モンゴルに潜入した。大正4年7月7日中国奉天(現瀋陽(しんよう))で死去。52歳。薩摩(さつま)(鹿児島県)出身。陸軍士官学校中退。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by