戦争犯罪には狭い意味のものと広い意味のものとがある。
[石本泰雄]
狭い意味の戦争犯罪は、「戦時犯罪」「戦時重罪」または「通常の戦争犯罪」ともいわれる。一方の交戦国の軍隊構成員または市民が相手交戦国に対してある種の行為を行ったとき、相手交戦国はこれを処罰することができる。この行為が通常の戦争犯罪である。その代表的なものは軍隊構成員による戦時国際法の違反である。たとえば禁止されている兵器を使用したり、捕虜を虐待したりすることはこれにあたる。そのほかに一般市民による敵対行為への参加も犯罪となる。特殊なものとしては間諜(かんちょう)(戦時のスパイ)、戦時反逆(占領地などで行われる敵国のための情報提供や破壊行動など)や剽盗(ひょうとう)(戦場をさまよい窃盗や略奪を行うこと)がある。これらの犯罪を犯した者を他方の交戦国が捕らえたときは、死刑を含む刑罰を科することができる。交戦法規の違反に対する制裁の一態様として、この種の戦争犯罪は国際法上古くから確立していた。
このように伝統的な国際法では、戦争犯罪の処罰は、もっぱら戦争遂行の過程で現れる戦時国際法からの逸脱を救正しようとするものであり、戦争そのものを開始した者に対する責任の追及を行うものではなかった。20世紀の初めまでは、たとえ攻撃戦争であっても、それ自体違法ではなく自由とされていたから、戦争指導者の刑事責任の追及が行われなかったのは、いわば当然の帰結である。
[石本泰雄]
しかし、第一次世界大戦後ベルサイユ条約は「国際道義ニ反シ、条約ノ神聖ヲ涜(けが)シタル重大ノ犯行」について、ドイツ皇帝ウィルヘルム2世の責任を問い、その訴追を定めた(第227条)。この裁判は、オランダが皇帝の身柄引渡しを拒んだため実現をみなかったが、戦争犯罪概念の展開に一つの時期を画したものであった。
第二次世界大戦後、ニュルンベルクおよび東京で国際軍事裁判が行われ、ドイツおよび日本の戦争指導者が処罰された。これらの裁判所の条例では、通常の戦争犯罪のほかに、「平和に対する罪」と「人道に対する罪」についても、これを犯罪として処罰すべきことが規定された。いいかえれば、侵略戦争の計画、準備、開始および遂行、ならびに一般人民に対してなされた殺害、大量殺人、奴隷化などの非人道的行為がいずれも犯罪とされたわけである。
このように戦争犯罪の概念は拡大され、質的転換さえみせたのであるが、それだけに、当時の国際法ではまだ十分に成熟したものとはいえないという批判もまた行われた。すなわち、第一に、平和に対する罪や人道に対する罪は実定法上で確立していたわけではないから、これによって処罰することは事後法の適用であり、罪刑法定主義に反するという批判。第二に、国家機関として行動した個人を、個人的な刑罰の対象とすることは不合理であるという批判。第三に、検察官はもちろん、裁判所も戦勝国の国民だけによって構成され、もっぱら敗戦国側の行動だけが裁かれるのは公平でないという批判、などがそれである。しかし、1946年に国連総会は「ニュルンベルク裁判所条例およびその判決によって認められた国際法の諸原則」(ニュルンベルク諸原則)を確認し、それを受けて国連国際法委員会は、「人類の平和と安全に対する罪についての法典草案」を51年、54年および96年の三次にわたって採択し総会に提出した。このように今日では、拡大された広い意味での戦争犯罪の概念は国際社会で定着しているとみてよい。
1993年5月の国連安保理事会決議によって、旧ユーゴ紛争における国際人道法の重大な違反などの責任者を、戦争犯罪人として裁くため、オランダのハーグに国際裁判所が設置された(旧ユーゴ戦争犯罪国際法廷)。また94年11月の安保理事会決議によって、ルワンダにおける「大虐殺」に関連する戦争犯罪人を裁くため、タンザニアのアルーシャに国際裁判所が設置された(ルワンダ国際法廷)。いずれの裁判所も、紛争当事者から独立した裁判官によって構成される点で、従前のニュルンベルクおよび東京裁判とは異なるが、それらは一時的に構成された裁判所であって、常設的な裁判所ではない。常設の裁判所を設置し、戦争犯罪人や集団殺害を行った犯罪人などを処罰するため、国連国際法委員会の作成した国際刑事裁判所規程草案に基づき、98年6月から7月にかけてローマで政府間外交会議が開催された。これにより、国際刑事裁判所設立条約が採択され、集団殺害罪、人道に対する罪、および(通常の)戦時犯罪について、これらを犯した個人が国際的に処罰を受ける道が開かれた。
[石本泰雄]
『大沼保昭著『戦争責任論序説』(1975・東京大学出版会)』▽『伊藤哲雄「旧ユーゴ国際裁判所の法的な枠組と問題点」(『立教法学』40号所収・1994・立教法学会)』▽『小和田恒他「国際刑事裁判所の設立」(『ジュリスト』1146号所収・1998・有斐閣)』▽『藤田久一著『戦争犯罪とは何か』(岩波新書)』
第2次世界大戦末まで一般に使われてきた意味に従えば,戦争犯罪とは,戦争法規に違反する行為であって,それを行いまたは命じた者を交戦国が捕らえた場合,これを処罰しうるものをいう。日本では,戦時犯罪または戦時重罪と呼ばれてきた。戦争犯罪に該当するものとしては,従来の分類に従えば,(1)交戦国の兵力に属する者による戦争法規の違反,(2)兵力に属さない者による敵対行為,(3)一方の交戦国の権力内で,その国への忠誠義務を負わない者(敵国や中立国の国民,仮装した軍人)がその国に害を与えまたは敵を利するために行う行為,すなわち戦時反逆,(4)スパイ行為,(5)戦場で軍隊につきまとい,略奪,窃盗,戦利品の剝奪等を行う行為,すなわち剽盗があげられる。これらの行為のうち,戦時反逆,スパイ行為は戦争法により直接禁止されている行為ではない。しかし,これらの行為を行った者を捕らえた側は,自国の軍事刑法や普通刑法に従い,彼らを厳罰に処しうることを国際法上認められている。こうした戦時犯罪は,それを行った個人を捕らえた交戦国がその国家法益の侵害を理由に戦時中裁判にかけて処罰するもので,戦後にはもはや処罰しえないとみなされていた。
しかし,第2次世界大戦中,連合国側において,枢軸国の戦争犯罪人(侵略戦争に対する責任者を含む)を戦後厳重に処罰すべきことが主張され,従来の戦争犯罪すなわち戦争の法規および慣例の違反による〈通例の戦争犯罪〉のほか,〈平和に対する罪〉および〈人道に対する罪〉という新しい戦争犯罪の類型が認められることになった。ここに戦争犯罪概念の拡大と国際犯罪観念への質的転換の端緒がみられる。この新しい戦争犯罪類型は,国際軍事裁判所条例および極東国際軍事裁判所条例中に定められた。すなわち,〈平和に対する罪〉とは,〈侵略戦争を,または国際条約,協定,誓約に違反する戦争を計画し,準備し,開始し,実行したこと,またはこれらの行為を達成するための共同の計画や謀議に参加したこと〉であり,その責任は国家機関の地位にある者であっても個人に負わされる。〈人道に対する罪〉とは,〈犯罪の行われた国の国内法に違反すると否とにかかわらず,これらの裁判所のいずれかの犯罪の遂行としてまたはこれに関連して行われるところの,戦前または戦争中における,あらゆる一般住民に対して犯された殺人,殲滅(せんめつ),奴隷化,強制的移送およびその他の非人道的行為,もしくは政治的・人種的または宗教的理由に基づく迫害〉である。ここにいう〈人道に対する罪〉は,戦争中のみならず戦争前の行為(とくに迫害)を含み,その国籍を問わず一般住民に対する行為によるものであるが,自国民に対する犯罪行為や迫害を主たる対象としている。なお,上記の定義によれば,〈人道に対する罪〉は,通例の戦争犯罪または〈平和に対する罪〉の遂行として,またはこれに関連して行われたものでなければならない。
この新しい戦争犯罪の概念は,戦後の国連を中心とする国際法の展開の中で,単に戦勝国のつくりあげたものというより普遍妥当的な概念として,より明確になりいっそう定着するようになった。第1回国連総会は〈ニュルンベルク裁判所条例によって認められた国際法の諸原則〉を確認する決議を全会一致で採択し,1950年国連国際法委員会の作成したいわゆるニュルンベルク諸原則は,(1)平和に対する罪,(2)戦争犯罪,(3)人道に対する罪(条例中にあった〈戦前または戦争中に〉の表現は削除された)を国際法上の犯罪として処罰されるものとした(第6原則)。さらに,1954年国際法委員会の採択した〈人類の平和と安全に対する犯罪の法典案〉は,責任を有する個人が処罰されるべき国際法上の犯罪とみなされる〈人類の平和と安全に対する罪〉の中に,平和に対する罪に該当する侵略行為やその威嚇,人道に対する罪に該当する行為,戦争の法規および慣例に違反する行為をも列挙した。なお,〈人道に対する罪〉は戦後作成された諸条約によりいっそう一般化されるようになった。集団殺害(ジェノサイド)は,平時・戦時を問わず,国際法上の犯罪とみなされ(1948年〈集団殺害罪の防止及び処罰に関する条約〉1条),さらに〈武力攻撃または占領による追立て〉および〈アパルトヘイト政策に基づく非人道的行為〉(1973年の〈アパルトヘイト罪の鎮圧及び処罰に関する国際条約〉1条)も人道に対する罪に含まれるに至っている。
通例の戦争犯罪についても,1949年ジュネーブ諸条約(赤十字条約)は次のような〈重大な違反行為〉を列挙した。すなわち,殺人,拷問もしくは非人道的待遇(生物学的実験を含む),身体もしくは健康に対して故意に重い苦痛を与え,もしくは重大な傷害を加えること,軍事上の必要によって正当化されない不法かつ恣意的な財産の破壊もしくは徴発を行うこと,この条約に定める公正な正式の裁判を受ける権利を奪うこと,文民を不法に追放し,移送もしくは拘禁すること,人質にすること,である。同条約の各締約国は,これらの重大な違反行為の処罰に必要な立法を行い,その疑いのある者を捜査する義務を負い,さらにその者の国籍のいかんを問わず自国の裁判所に公訴を提起するか他の関係締約国に裁判のため引き渡す義務を負う。このような普遍的管轄権を認める傾向からもわかるように,重大な違反行為は,従来の戦時犯罪というよりも国際法上の犯罪として位置づけられている。同条約に対する1977年追加議定書は,重大な違反行為に該当するものの範囲をさらに拡大した。
なお,1968年〈戦争犯罪及び人道に対する罪に対する時効不適用に関する条約〉は,上記の重大な違反行為のような戦争犯罪とアパルトヘイト政策に基づく非人道的行為や集団殺害罪を含む人道に対する罪が国際法上の最も重要な戦争犯罪に属することを考慮して,両犯罪にとって時効は存在しないという原則を確認している。
→戦犯 →東京裁判 →ニュルンベルク裁判
執筆者:藤田 久一
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狭義には,第二次世界大戦前から認められていた戦時法規の違犯をさす。広義には,伝統的な狭義の定義に加えて,第二次世界大戦後のニュルンベルク国際軍事裁判および極東国際軍事裁判において認められた「平和に対する罪」および「人道に対する罪」を加えたものをさす。平和に対する罪とは,侵略戦争の計画,準備,開始,実行などをさし,人道に対する罪とは,集団殺害など非人道的な行為をさす。1948年のジェノサイド条約をはじめ,のちの諸条約で戦争犯罪の定義が明確になる。93年に戦争犯罪を訴追するために設置された旧ユーゴスラヴィア国際刑事裁判所の設置や98年の国際刑事裁判所の設立条約採択など,戦争犯罪を裁く制度が確立されつつある。
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…正式の名称は極東国際軍事裁判International Military Tribunal for the Far East。日本の戦前・戦中の指導者28名の被告を〈主要戦争犯罪人〉(A級戦犯)として,彼らの戦争犯罪を審理した国際軍事裁判。
[前史]
第2次大戦中の連合国の戦争目的には,日独伊など枢軸国による侵略と残虐行為に対する自衛と制裁の方針が一貫して掲げられており,戦争終結後に枢軸国の戦争指導者と戦争犯罪を処罰することは,連合国の共通目標だった。…
…個人的水準においてしかり,また大きな社会的水準においてもしかり。たとえば15年戦争の〈戦争犯罪〉に対する戦後日本社会の態度は,よくそれを示す。アウシュビッツの責任は,ドイツ人自身により法廷で追及された。…
…
[経過]
第2次大戦の戦勝国となった連合国側はすでに大戦中から,ドイツ軍の占領地における残虐行為等の処罰を戦争目的の一つとする旨をしばしば声明し,とくに1943年11月のモスクワ宣言で,アメリカ,イギリス,ソ連の3国は〈地域的に限定し難い犯罪〉の主要な責任者の追及問題に触れていた。ドイツの無条件降伏後,45年6月から8月にかけて開かれたロンドン会議で,これにフランスを加えた4国の代表は〈欧州枢軸諸国の主要戦争犯罪人の訴追の処罰に関する協定〉に署名し,同協定の一部をなす国際軍事裁判所条例に基づいて,裁判を行うことに合意した。なお同協定にはその後19の連合国が加入し,計23ヵ国の名において起訴状が提出されることになった。…
※「戦争犯罪」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
「歓喜の歌」の合唱で知られ、聴力をほぼ失ったベートーベンが晩年に完成させた最後の交響曲。第4楽章にある合唱は人生の苦悩と喜び、全人類の兄弟愛をたたえたシラーの詩が基で欧州連合(EU)の歌にも指定され...
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