日本大百科全書(ニッポニカ) 「日本エアシステム」の意味・わかりやすい解説
日本エアシステム
にほんえあしすてむ
日本の航空会社。2004年(平成16)日本航空と統合し、日本航空との事業会社日本航空ジャパンとなり、06年には、同じ日本航空グループの国際線部門と合併し、日本航空インターナショナルとなる。統合前、日本エアシステムは国内に独自の路線をもち、わが国第3位の実績をもっていた。英語名はJAPAN AIR SYSTEM、略称JAS(ジャス)。1964年(昭和39)に日東航空、富士航空(ともに1952設立)、北日本航空(1953設立)が合併して設立された日本国内航空と、1953年設立の東亜航空が、政府の新航空政策に沿って71年に合併し、東亜国内航空となった。合併後、ジェット化を推進してローカル線の大量高速輸送時代を開いたが、1975年には、東京―札幌、東京―福岡において初の幹線に就航するとともに、78年から、東京と函館(はこだて)、熊本、鹿児島との間に路線を開設して全日本空輸とのダブルトラック運航を実現した。1983年、東京―大阪線を開設する一方、鹿児島県14市町村との共同出資によって第三セクター方式による日本エアコミューター(奄美(あまみ)関係路線、略称JAC)を設立、本格的なエアコミューター時代を開いた。
1988年4月、社名を日本エアシステムに変更。1991年(平成3)には関西国際空港の供与が開始されたことにより、大阪地区からの国内線路線網を拡充した。国際線では、1986年9月、初の国際チャーター便を大阪―ソウル間で実施、定期便としては88年に東京―ソウル間を開設した。グループ内の関連企業として北海道エアシステム(HAC、1997設立)、ハーレクィンエア(1997設立、2005事業終了)などがある。2002年10月、日本航空と持株会社「日本航空システム」(資本金1000億円)を設立し、その傘下に入る。2004年4月、日本航空と完全統合。同年6月、日本航空システムは日本航空と名称を変更。2002年10月時点で国内線約75路線(時期により変動)、国際線5路線を就航。2001年度の輸送実績は国際線69万人、国内線2109万人。資本金約235億円、従業員数5397(2003年1月)であった。
[中村清司]