日本大百科全書(ニッポニカ) 「日本労働組合総連合」の意味・わかりやすい解説
日本労働組合総連合
にほんろうどうくみあいそうれんごう
第二次世界大戦前の中間派労働組合。略称総連合。1926年(大正15)1月23日、阪神地方の大阪鉄工組合を中心とする日本労働組合連合と京浜地方の機械労働組合連合会が合同して結成(会長布施辰治(ふせたつじ)、のち委員長坂本孝三郎(こうざぶろう)、高山久蔵(きゅうぞう))、機械工を中心に7000人が結集した。これらは、1922年に展開された労働組合総連合運動の際、自由連合主義を唱えて総同盟と対立した組合であった。そのため、当初は政治活動否認のサンジカリズムの色彩が強かったが、総連合結成のころには政治活動を是認するようになった。無産政党結成をめぐって、労働戦線が左・右・中間の三派に分裂すると、日本労働組合同盟とともに日本労農党を支持し、中間派の立場をとった。満州事変後は戦争協力の立場をとり、全国労農大衆党支持を取り消し、下中弥三郎(しもなかやさぶろう)らの国家社会主義新党である国民社会党準備会に参加し、国防献金運動を起こした。34年(昭和9)ごろより、労資一体の日本主義労働運動の立場を鮮明にし、日本労働組合会議を脱退し、36年愛国労働組合全国懇話会を結成した。38年11月日本勤労報公連盟と改称したが、国策に沿い、40年8月18日解散した。
[山田武生]
『渡部徹・飛鳥井雅道編『日本社会主義運動史論』(1973・三一書房)』