グローバル化した社会経済の課題解決のために、国民的合意の形成に努めつつ国民経済の生産性の向上を図り、日本経済の発展、国民生活の向上、および国際社会への貢献に寄与することを目的とする公益財団法人。
その起源は、第二次世界大戦後の1955年(昭和30)、アメリカの主導で世界的に展開された生産性運動の日本における推進機関として官民により設立された財団法人日本生産性本部である。1994年(平成6)に、社団法人社会経済国民会議を統合して、財団法人社会経済生産性本部となったが、2009年に名称変更して財団法人日本生産性本部となり、2010年に現在の公益財団法人となった。
旧日本生産性本部は、アメリカの支援と影響を受けつつも、日本独自の生産性運動の展開を意図し、生産性向上三原則を根幹に据えた。それは、生産性向上が究極において雇用を増大すること、生産性向上には労使協力が必要であること、生産性向上の成果は公正に分配されること、をうたった。このような労使協調路線は、今日に至る生産性本部の基本方針であり、日本の生産性運動の特徴と原動力になっているものである。当初、労働組合の一部は、労使協調路線に反対の立場をとり、生産性運動に参加しなかったが、日本経済の躍進に寄与した現実を否定することができず、事実上容認するようになっていった。
旧生産性本部は、労使協力を基調にしつつ、具体的には海外視察団の派遣、各種セミナーの開催、調査研究委員会の設置、生産性研究所の創設、労組生産性会議の開催、出版・広報活動などを精力的に行って、生産性運動の国民的定着に努力した。ほぼ5年ごとに時代に即した運動の指針を宣言として発表し、運動の時代的意義を更新した。日本経済の発展を支えた運動の成果は、諸外国とくにアジア諸国に刺激を与え、いくつかの国に生産性本部が創設され、日本の生産性本部はそれらをリードし国際会議を開催するなどした。
社会経済国民会議は、旧日本生産性本部が1973年に創設した組織で、福祉、エネルギー、環境など幅広い分野について政策提言を行い、政府や関係機関にその実現を求めていた。バブル経済が崩壊して日本経済が転換期に入った1990年代になると、生産性運動はより広範な視点への止揚を求められるようになり、社会経済システム全般の改革と効率改善を課題とする方向への転換を迫られるようになった。このような情勢は、社会経済国民会議の政策提言と旧日本生産性本部の生産性運動の統合を促すことになり、1994年に社会経済生産性本部が誕生する。
社会経済生産性本部の目標とした社会は、「高質生産性社会」とされ、次のような内容を構想した。イデオロギー対立時代にかわる国際的広がりをもった市場経済の原則を尊重する社会、価値創造型の経済社会、顧客価値重視の経営に質的転換する革新を推進する社会、個別企業の労使にとどまらず株主・消費者・市民にまで拡大された関係を重視する社会、大量消費を脱却し地球環境を重視する循環型経済社会などである。
こうした構想に従って各種事業を推進した結果、構想は社会に理解され受け入れられたが、さらなる運動の推進と定着のために、2009年に知名度の高い日本生産性本部の名称に回帰した。2010年の財団法人から公益財団法人への変更は、法制度の改変による。現在の日本生産性本部は、本部のほか、別組織として7地方本部、10県本部・協議会を擁し、調査、研究、指導、セミナーなどを推進し、日本経営品質賞、生産性の船(船上での研修と海外文化の直接体験)などを運営し、メンタル・ヘルス研究所、雇用システム研究センター、経営アカデミーなどを設置して雇用や経営の改善に貢献するとともに、内外関係機関との交流や協力等を行っている。
[森本三男]
日本における生産性向上運動推進の中核機関。英語名称はJapan Productivity Center(JPC)。1954年3月に経団連,日経連,日商,同友会など財界がアメリカから資金援助を受けて設立した日米生産性増強委員会(のち日本生産性協議会に改称)が前身。その後政府も援助することになり翌55年3月に財団法人日本生産性本部が発足した。
経済界からの寄付金,政府とアメリカからの補助金を得て,生産性向上のための研究,調査,企業への助言と生産性向上活動の奨励を行っている。活動方針として,(1)技術進歩による失業の防止,(2)労使協力,(3)生産性向上の成果の労使および一般消費者への公正配分という〈生産性3原則〉をかかげている。毎年2回開く〈トップセミナー〉は有名。労働組合では,同盟ないし同盟傘下の組合が理事を送り込むなど生産性向上運動に参加しているが,総評は生産性向上運動に対し資本家の階級攻勢として反対の態度をとっている。JPCはアジア諸国の生産性向上運動の連合体APO(Asia Productivity Organizationアジア生産性機構)の有力メンバーである。東京都渋谷区に本部事務所があるほか,地方に七つの事務所がある。
執筆者:下田 雅昭
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(2015-3-26)
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…すでに財界の一部がヨーロッパの運動に注目し,また通産省の調査にもとづいて産業合理化審議会が日本においても生産性機関を創設するよう具申していたが,具体的な契機はアメリカからの働きかけであった。約2年の準備期間を経て55年に財団法人日本生産性本部が設立された。当初数年間のおもな活動は,英米生産性協議会と同じく,訪米チームの派遣であり,アメリカの援助は55年から62年まで続けられた。…
※「日本生産性本部」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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