出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
日本で最も古い歴史をもつ海運会社の一つ。正しくは〈にっぽんゆうせん〉。1885年(明治18)9月29日,郵便汽船三菱会社と共同運輸会社が合併,創設されて以来,政府の手厚い保護のもとに一貫して日本海運の中心をなし,また世界海運においても代表的な船会社としてその地位を維持してきた。第2次大戦により壊滅的被害を受けたが,鋭意再建に努め,また1964年4月1日には,海運業の再建整備計画に基づく集約により三菱海運を合併し,これ以降も着実な拡大発展をたどっている。長い伝統のもとに築き上げてきた確固たる営業基盤に基づき,世界を網羅した定期航路経営を特色としているが,同社はこの定期船部門を主力としながらも,各種専用船,兼用船および多目的船も多数保有し,バランスのとれた総合経営を行っている。この経営多角化,いいかえれば総合経営が,海運市況の変動から受ける影響を最小限に食い止め,同社の経営基盤を安定させている主要な基礎の一つになっている。資本金は885億円(2005年9月),売上高1兆6061億円(2005年3月期)。保有船舶は212隻,1203万総トン(2004)。
執筆者:織田 政夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…81年から三菱征伐の動きが強まり,長州閥や三井系が82年共同運輸会社を設立,三菱会社との間に共倒れに近い競争がつづいた。この間に彼は病死し,弟の弥之助(1851‐1908)が2代社長となり,85年政府の勧告により両社は合同し日本郵船会社が誕生した。なお,海運部門を引き渡した後の三菱会社は,高島炭鉱や長崎造船所などを中心に,海から陸へ転進した。…
…三菱もまた台湾出兵,西南戦争における軍事輸送に活躍し,さらにアメリカのパシフィック・メール社,イギリスのP&O社の競争を退けて横浜~上海航路を開設,日本の大型汽船の約2/3を手中に収めた。この三菱の独占には社会の批判が高まり,1883年政府は,東京風帆船会社など3社の合併によって成立した共同運輸会社に出資し,同社は横浜~神戸間航路で三菱と激しい競争を展開したが,85年政府は両社の合併を斡旋し,日本郵船会社(所有船腹6.5万総トン。現,日本郵船)が成立した。…
※「日本郵船」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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