兵庫県明石市大久保町西八木(にしやぎ)海岸の更新世の地層の崩壊土中から、1931年(昭和6)、直良信夫(なおらのぶお)が採集した人類の左側寛骨(かんこつ)の通称。現物は戦災により失われたが、石膏(せっこう)模型に基づいて長谷部言人(はせべことんど)が研究を行い、1948年(昭和23)、ニッポナントロプス・アカシエンシスNipponanthropus akashiensisと仮称、原人段階の人類が大陸と地続きであったころの日本に住んでいたことを主張した。同年、現地の発掘を行ったが、人骨化石には遭遇しなかった。人骨が埋没していたとされる西八木層の年代は現在では12、3万年前または5、6万年前と考えられているので、原人の骨ではない。同層から直良が採集した石器は、現在では人工品とみなされていない。1982年、遠藤萬里(えんどうばんり)(1934―2017)、馬場悠男(ばばひさお)(1945― )は、世界各地の猿人~現代人の腰骨との比較を行い、縄文時代以降の人骨との考えを発表した。1985年、春成秀爾(はるなりひでじ)(1942― )が現地の再発掘を行ったが、最終的な結論を得るには至らなかった。
[春成秀爾]
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兵庫県明石市西八木海岸の崖の崩壊土中から,1931年(昭和6)に直良(なおら)信夫によって発見された左寛骨(腰骨)をいう。長谷部言人(ことんど)によって原人級の原始的形態をもつと判断され,ニッポナントロプス・アカシエンシスと命名されたが,82年に遠藤万里(ばんり)・馬場悠男(ひさお)の研究により新人の寛骨であることが明らかにされた。原標本は空襲によって焼失し,石膏模型だけが東京大学に残る。
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