そね‐の‐よしただ【曾禰好忠】
- 平安中期の歌人。中古三十六歌仙の一人。丹後掾(たんごのじょう)であったところから曾丹と略称された。伝統的な和歌に対して、新奇な用語や語法を取り入れ、百首歌や毎月集という一日一首の歌日記的な三百六十首和歌など新しい連作形式を生み出して新風をもたらし、歌壇に大きな影響を与えた。偏屈な歌人として逸話も多い。著「曾丹集」。生没年不詳。
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曾禰好忠 (そねのよしただ)
平安中期の歌人。生没年不詳。姓は曾根とも記す。通称は曾丹,曾丹後。家系や父母の名も不明。丹後掾として六位の卑官にとどまったため宮廷貴族に侮られ,〈曾丹〉と呼ばれた。また,円融院の子(ね)の日の遊びのときに,召しもないのに卑しげな狩衣姿で参上してとがめられ,ついに衣のえりをつかまれて引きずり出されたといった逸話も伝えられている(《今昔物語集》巻二十八)。源順,大中臣能宣,源重之ら当時の受領層歌人と交流しつつ,下級貴族に固有な不遇意識を先んじて表現し,彼らに影響をあたえた。960年(天徳4)ごろ百首歌という新形式を創出したときに彼は30歳過ぎであった。その後360首を1年間に割り当てる新形式の〈毎月集〉を発明した。好忠の歌は《古今集》以来の類型をうけながら,反伝統的な耳なれない用語・語法を用いたり,土俗や生活のにおい,愛欲などをうたう歌が目だち,訴嘆の調べが特色である。この特性は新風として後に源俊頼などに受けつがれた。家集に《曾丹集》があり,勅撰集入集歌は《拾遺集》以下に94首。〈鳴けや鳴け蓬(よもぎ)が杣(そま)のきりぎりす過ぎゆく秋はげにぞ悲しき〉(《曾丹集》)。
執筆者:藤岡 忠美
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曾禰好忠
生年:生没年不詳
平安時代の歌人。家系,経歴とも不明だが,天徳4,5(960,61)年ころ30歳すぎであったことが知られる。また,丹後掾 であったことから,曾丹後,曾丹と通称された。貞元2(977)年の三条左大臣歌合に後日召されて歌を献上したほか,いくつかの歌合に出詠しているが,永観3(985)年の円融院の子の日の御遊に,召されていないのに出席して追い出された事件は有名である。家集『好忠集』は,1年の日数に合わせた360首からなる毎月集と百首歌(100首を単位として詠まれた和歌),およびその百首歌への源 順 の答歌の100首などからなっているが,このうち毎月集は,1年の生活感を主な主題に,季節の風物や年中行事などをも所定の場所に詠み込みつつ,1日1首の形で四季,月,旬に区切って構成された画期的な試みである。また百首歌という形もこの好忠の作に始まるとされ,恵慶,源重之など多くの歌人に模倣されて,後代に多用されるさきがけとなった。ともに貴顕に命ぜられたのではなく,歌人がみずからの感懐を多くの歌の組み合わせによって一世界に構成しようとしている点が注目される。その発想や用語には新奇なものが多く,『後拾遺集』に採られた「鳴けや鳴け薄が杣のきりぎりす過ぎゆく秋はげにぞ悲しき」の歌の「薄が杣」の語などは,藤原長能に常規を逸した表現として非難されたが,一方で次代の新風を導いた要素も大きい。『拾遺集』以下の勅撰集に90首以上が入集している。
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曾禰好忠【そねのよしただ】
平安中期の歌人。生没年不詳。生涯卑官にとどまったらしいが,家系・官歴ともに不明な点が多い。伝統になずんでいきづまった歌風の革新を早くから試み,新奇な用語や句法を取り入れたり,百首歌や〈毎月集〉などの新しい連作形式を試みるなどして,歌壇に新風をもたらした。丹後掾であったことから,曾丹と呼ばれた。変わり者としての逸話が多いが,詠風から見るかぎり欲の少ない善良な人物であったらしい。源順(みなもとのしたごう)ら当代の歌人たちとも交流があり,その実力は認められていた。中古三十六歌仙の1人。家集に《曾丹集》がある。《拾遺和歌集》以下の勅撰集に94首入集。
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曾禰好忠
そねのよしただ
平安時代中期の歌人。曾根とも書く。丹後掾 (たんごのじょう) だったので,曾丹 (そたん) と呼ばれた。歌人としてはすぐれていたが,性格的に偏屈な点があり,不遇な生涯をおくった。歌風は古語や俗語を取入れたり,新奇な語法を用いたりした清新さに満ちたもので,形態的にも受領層歌人の生活感情を連作によって提示する百首歌を創始した。家集に『曾丹集』があり,『拾遺集』以下の勅撰集に 90首近く入集。歌界に新風を吹込んだ功績は和泉式部とともに高く評価され,歌風は源俊頼らによって継承された。
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曾禰好忠 そねの-よしただ
?-? 平安時代中期の官吏,歌人。
延長元年(923)ごろの生まれで,長保5年(1003)ごろ死去か。あたらしい形式で個性的な和歌をつくったが,奇行でも知られた。ながく丹後掾(じょう),六位にとどまったため,曾丹(そたん),曾丹後とよばれた。作品は「拾遺和歌集」以下の勅撰集に94首ある。中古三十六歌仙のひとり。家集に「曾丹集」。
【格言など】由良のとを渡る舟人かぢを絶え行方も知らぬ恋の道かな(「小倉百人一首」)
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世界大百科事典(旧版)内の曾禰好忠の言及
【曾丹集】より
…歌集。平安中期の異色歌人として知られ,丹後掾の卑官であったために〈曾丹〉と略称された[曾禰好忠]の家集。1巻。…
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