有賀長雄(読み)アリガナガオ

デジタル大辞泉 「有賀長雄」の意味・読み・例文・類語

ありが‐ながお〔‐ながを〕【有賀長雄】

[1860~1921]法学者社会学者。大阪の生まれ。ドイツに留学しシュタイン師事。その著「社会学」は、日本最初の体系的な社会学書。他に「国法学」「国家学」など。

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精選版 日本国語大辞典 「有賀長雄」の意味・読み・例文・類語

ありが‐ながお【有賀長雄】

  1. 法学者、社会学者。大阪の人。「社会学」は日本最初の体系的社会学の著作。ほかに「国法学」など。万延元~大正一〇年(一八六〇‐一九二一

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20世紀日本人名事典 「有賀長雄」の解説

有賀 長雄
アルガ ナガオ

明治・大正期の国際法学者,外交政治史家,社会学者 陸軍大学校教授;早稲田大学教授。



生年
万延1年10月1日(1860年)

没年
大正10(1921)年5月17日

出生地
摂津国西成郡川崎村(大阪府)

学歴〔年〕
東京大学文学部哲学科〔明治15年〕卒

学位〔年〕
法学博士〔明治30年〕,文学博士〔明治44年〕

主な受賞名〔年〕
帝国学士院賞恩賜賞〔明治45年〕「日清戦没国際法論」「日露陸戦国際法論」

経歴
東京大学卒業後、大学校御用係、元老院書記官などをする。その間、明治16〜17年「社会学」(全3巻)を、18年に「文学論」を刊行。19年から20年にかけてベルリン大学およびオーストリアに留学し、国法学などを学ぶ。帰国後、枢密院書記官、内閣書記官総理大臣秘書官農商務省特許局長などをつとめ、29年陸軍大学校、32年早稲田大学教授として国際法、外交史などを講じた。この間、日清・日露戦争法律顧問として従軍。また大正2年袁世凱に招かれて渡中、大総統法律顧問として清国憲法制定に尽力した。他の著書に「国家学」「帝国史略」(全4冊)「日本古代法釈義」「近世外交史」「国法学」「戦時国際法」(全2巻)「大日本歴史」(全2巻)「最近三十年外交史」などがある。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「有賀長雄」の意味・わかりやすい解説

有賀長雄
ありがながお
(1860―1921)

社会学者、国際法学者。大坂に生まれる。1882年(明治15)東京大学文学部卒業。ドイツに留学して、L・シュタインに国法学を学ぶ。帰国後、枢密院、内閣、農商務省に勤め、1898年以降、陸軍大学校、東京帝国大学、早稲田(わせだ)大学などで社会学、国際法を教える。著書『社会学』3巻(1883~1884)は、スペンサー社会進化論によりながら日本社会の特質を強調し、体系的な社会学的著作として日本最初のものである。代表的著作としてはほかに『国家学』(1889)がある。

[河村 望]

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改訂新版 世界大百科事典 「有賀長雄」の意味・わかりやすい解説

有賀長雄 (ありがながお)
生没年:1860-1921(万延1-大正10)

明治期の社会学者,法学者。歌学者有賀長伯の子孫で,大坂に生まれ,1882年東京帝大文学部卒。83-84年に大著《社会学》を公刊,スペンサーの学説にもとづく独自の社会進化論を展開した。84年元老院書記官となり,86-87年ヨーロッパに留学,ウィーンでローレンツ・フォン・シュタインの海江田信義に対する講義を通訳してシュタインに心酔,帰国後《帝国憲法論》などを公刊。やがて国際法の専門家となり,日清,日露戦争にも顧問として従軍した。この間,95年フランスに留学,仏文で《日清戦役国際公法論》を著す。早稲田大学,陸軍大学校,学習院などで憲法,国際法を講じ,赤十字万国総会,ハーグ平和会議に日本代表として出席。1913年袁世凱の法律顧問として中国に赴く。二十一ヵ条要求に反対して日本政府と対立した。
執筆者:

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朝日日本歴史人物事典 「有賀長雄」の解説

有賀長雄

没年:大正10.5.17(1921)
生年:万延1.10.1(1860.11.13)
明治大正期の公法学者。「あるが」とも読む。大坂の国学者の家系に生まれる。父は有賀長隣。明治15(1882)年東大文学部哲学科卒。16~17年大著『社会学』公刊。17年元老院書記官,19~20年自費渡欧,ベルリン大,パリ大に学び,海江田信義の委嘱によりウィーンでシュタインの講義を通訳。彼を祖述して『帝国憲法論』『国法学』などを著す。26年特許局長。国際法に転じ,陸軍大学校,海軍大学校,早大で国際法を担当。日清・日露戦争に法律顧問として従軍。旅順開城の際通訳を務めた。1913年袁世凱の法律顧問,1915年21カ条要求に反対,「非国民」と非難され,早大などの教職を去る。<著作>『万国戦時公法』『日清戦役国際法論』『日露陸戦国際法論』

(長尾龍一)

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百科事典マイペディア 「有賀長雄」の意味・わかりやすい解説

有賀長雄【あるがながお】

社会学者,法学者。大坂出身。1882年東京帝国大学文学部卒業後,スペンサーの学説にもとづく社会進化論《社会学》を執筆。ヨーロッパ留学でシュタインの影響を受け《帝国憲法論》を刊行。1895年フランスに留学して《日清戦役国際公法論》(仏文)出版。1913年に中華民国大総統袁世凱の法律顧問となり,1915年の日本の二十一ヵ条要求に反対した。
→関連項目中江丑吉

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「有賀長雄」の解説

有賀長雄 あるが-ながお

1860-1921 明治-大正時代の社会学者,法学者。
万延元年10月1日生まれ。有賀長隣(ながちか)の長男。明治16-17年「社会学」3巻を公刊。のちドイツ,オーストリアで国法学などをまなぶ。日清・日露戦争には法律顧問として従軍。早大,陸軍大学校の教授もつとめた。大正2年中国の袁世凱(えん-せいがい)の法律顧問となる。大正10年5月17日死去。62歳。大坂出身。東京大学卒。著作はほかに「国家学」など。

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367日誕生日大事典 「有賀長雄」の解説

有賀 長雄 (ありが ながお)

生年月日:1860年10月1日
明治時代;大正時代の国際法学者;社会学者。陸軍大学校教授
1921年没

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