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実業家。静岡県生まれ。1922年(大正11)高等小学校を卒業し、東京・湯島の自動車修理工場東京アート商会に徒弟奉公して、自動車の修理技術を身につける。1946年静岡県浜松市に本田技術研究所を創設し、内燃機関、車両の製造研究を始める。1947年原動機付自転車用エンジン「ホンダA型」を生産、1948年同社を本田技研工業と改め、オートバイのエンジンと車体の一貫生産を開始、1955年国内生産1位となる。1963年軽トラックと小型スポーツカーを発表、1973年アメリカのマスキー法(大気汚染防止法)に合格した低公害エンジン「CVCC」搭載の「シビック」を発売、大当たりして会社の基盤固めに成功する。1959年から同社オートバイによる国際レースに参加、1964年からは自動車レースの最高峰フォーミュラ1(F1)にも参加。1973年に最高顧問。平成3年8月5日没。
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1906.11.17~1991.8.5
昭和期の実業家。静岡県出身。第2次大戦前は自動車修理工場経営やピストンリング製造に従事,1946年(昭和21)静岡県浜松市に本田技術研究所を創立,モーターバイクの製作を開始した。48年本田技研工業を設立し,62年自動車生産に参入。73年社長を退任。89年(平成元)アメリカの自動車殿堂入りした。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…二輪車のトップ・メーカーで,四輪車の生産でも有数の会社。1946年に本田宗一郎(1906‐91)が浜松で個人創業した,内燃機関,車両の研究,製造を目的とする本田技術研究所が前身である。通称〈バタバタ〉という,自転車に旧軍隊の小型エンジンをつけたものを発売,大好評を博した。…
※「本田宗一郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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