東京都と神奈川県に100.1km(2005)の営業路線をもつ民営鉄道。渋谷~横浜間の東横線と渋谷~二子玉川~中央林間間の新玉川線・田園都市線(現在は両線を田園都市線とする)を主軸とし,目蒲線(現在は目黒線と東急多摩川線に分轄),大井町線,池上線および路面電車の世田谷線などから成る。東横線は1910年設立の東京横浜電鉄(当初は武蔵電気鉄道,1924年改称)が建設し,32年全通した。一方,1922年に設立された目黒蒲田電鉄は23年に目蒲線を建設し,34年池上電気鉄道(池上線)を合併した。また東京横浜電鉄は38年玉川電気鉄道(玉川線,世田谷線)を合併した。さらに42年には小田急電鉄,京浜電鉄(現,京浜急行)を合併し,東京南西部の大部分の民営鉄道を一元化して東京急行電鉄を形成した。48年に3鉄道(京王帝都,小田急,京浜急行)を分離独立させて現在の姿となった。東京近郊のうち南西部が早くから住宅地として発展したのは東横線のためであり,さらに第2次大戦後は田園都市線の建設により多摩田園都市を開発した。東横線,田園都市線は営団地下鉄へ直通している。資本金1088億円(2005年9月),売上高1兆0556億円(2005年3月期)
執筆者:和久田 康雄
東急グループは現在大きく分けて,交通部門,流通部門,不動産部門,レジャー・サービス部門の四つから成る。この4部門に属する企業は中核となる東京急行電鉄をはじめ,合計400社に及び(2006年3月末現在,290社9法人),グループの売上高は私鉄業界で最大である。交通部門は日本エアシステム,伊豆急行,東急バスなど36社(ほかに関連の東急車輌製造もある)を擁するが,連結売上高では4割弱に低下し,不動産(東急不動産,連結対象外の東急建設など),流通(東急百貨店,東急ストアなど),レジャー・サービス(東急ホテルチェーン,東急観光,東急レクリエーション,東急エージェンシーなど)が各2割を占める(1996)。1996年にはグループ運営のため,〈東急サミット〉に事業分野別サミットを新設した。東急グループの総帥は東京急行電鉄の社長五島昇で,実質的な創業者五島慶太(1882-1959)の長男であったが1989年死去。
執筆者:岡山 昇+黒田 満
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東急グループの中核である東急株式会社の旧称。東京急行電鉄はおもに不動産事業と鉄道事業を行っていたが、2019年(令和1)9月2日に東急へ社名変更し、鉄道事業は同年10月1日に東急の子会社として設立された東急電鉄が継承することとなった。
[青木 亮 2020年11月13日]
…1911年(明治44)東京帝国大学法科を卒業と同時に農商務省(のちに鉄道院)に入るが,20年退官し,武蔵電鉄(のちに東京横浜電鉄と改称)と目黒蒲田電鉄の常務または専務として両者の建設に従事(前者は1926年,後者は1923年に開業した)。東横と目蒲の社長に就任した36年(昭和11)以降,東京西南部の私鉄・バスの統合に乗り出し,第2次大戦末までに東京急行電鉄(東急)を中心とするコンツェルンを築きあげた。この間,合併・系列化がしばしば株の買占め,乗っ取りといった強引な手段をともなったところから〈強盗慶太〉の異名をとった。…
※「東京急行電鉄」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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