日本大百科全書(ニッポニカ) 「東洋紡」の意味・わかりやすい解説
東洋紡(株)
とうようぼう
紡績業界の老舗(しにせ)。1914年(大正3)大阪紡績と三重紡績が合併し、東洋紡績として設立された。2012(平成24)10月、東洋紡に商号を変更。
大阪紡績は、渋沢栄一の提唱により1882年(明治15)華族や綿商の出資で設立された日本初の大規模近代的紡績会社。1886年リング機への転換を開始、1890年大阪織布を買収して織布部門に進出、さらに1906年(明治39)金巾(かなきん)製織を合併した。三重紡績は1880年創業の二千錘紡績の一つ、三重紡績所を継承して1886年設立、1896年には織布を兼営、1897年以降尾張(おわり)紡績など9社を合併ないし買収して鐘紡(かねぼう)(のちカネボウ)に次ぐ規模となった。1914年両社相談役渋沢栄一の斡旋(あっせん)で合併、業界1位の東洋紡績となり、旧大阪紡山辺丈夫(やまのべたけお)が社長に就任した。第一次世界大戦後は合理化を進める一方、1923年上海(シャンハイ)に進出して大陸投資を進め、1929年(昭和4)裕豊(ゆうほう)紡績を分離設立。1931年五大紡の一つの大阪合同紡績を合併する。さらに絹糸紡績、人絹、スフ、羊毛、ゴム、パルプなどへ多角化ないし投資を進め、第二次世界大戦終戦時、関係会社は100社に及ぶ。戦後、繊維の総合メーカーとして海外へも発展し、非繊維部門でも1971年(昭和46)東洋紡不動産、1972年東洋紡エンジニアリングなどを設立。主要工場は岩国、敦賀(つるが)など。資本金517億円(2021)、売上高3374億円(2021)。
[田付茉莉子]
『東洋紡績株式会社編・刊『東洋紡績七十年史』(1953)』▽『東洋紡績株式会社編・刊『百年史 東洋紡』(1986)』