20世紀日本人名事典 「橋本独山」の解説 橋本 独山ハシモト ドクサン 明治〜昭和期の僧侶 臨済宗相国寺派管長。 生年明治2年6月11日(1869年) 没年昭和13(1938)年8月15日 出生地越後国(新潟県) 経歴絵画を学ぶが、明治23年橋本峨山のもとで得度し、臨済宗の僧となる。京都・天竜寺の僧堂に住して峨山の法を継ぎ、33年峨山が没すると京都の鹿王院を嗣いで住職となり、橋本姓を名乗る。44年相国寺住職・相国寺派管長となる。のち鳥取県三朝に南苑寺を開いた。書画に勝れたことでも知られる。遺録に「対雲録」がある。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「橋本独山」の解説 橋本独山 はしもと-どくさん 1869-1938 明治-昭和時代前期の僧。明治2年6月11日生まれ。臨済(りんざい)宗。橋本峨山(がざん)の法をつぐ。師の没後,京都の鹿王(ろくおう)院をつぎ,橋本姓を名のる。明治44年相国寺住職,相国寺派管長。鳥取県三朝(みささ)に南苑寺をひらいた。書画にすぐれた。遺録に「対雲録」。昭和13年8月15日死去。70歳。越後(えちご)(新潟県)出身。法名は玄義。別号に対雲窟,南苑窟。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by