正田 篠枝
ショウダ シノエ
        
              
                        昭和期の歌人  被爆者。
- 生年
- 明治43(1910)年12月22日
- 没年
- 昭和40(1965)年6月15日
- 出生地
- 広島県
- 学歴〔年〕
- 安芸高女〔昭和3年〕卒
- 経歴
- 家業は製粉業。昭和20年8月6日の原爆で、爆心地から1キロの自宅で被爆、家は壊れ火傷を負った。小舟で宮島口に逃れた。悲惨極まりない地獄図絵を三十一文学の短歌にまとめ、「さんげ」と題し出版を考えたが、21年夏占領軍の検閲のため許可が取れず、私家版「さんげ」を秘密裡に出した。その後37年に「耳鳴り―原爆歌人の手記」として平凡社から出版された。
 
    
        
    出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
	
    
  
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                    正田篠枝 しょうだ-しのえ
        
              
                        1910-1965 昭和時代の歌人。
明治43年12月22日生まれ。正田誠一の姉。杉浦翠子(すいこ)にまなぶ。昭和20年8月6日広島で被爆。その悲惨な風景をよんだ歌集「さんげ」を,22年私家版として秘密裏に出版。37年「耳鳴り―原爆歌人の手記」として公刊された。昭和40年6月15日原爆症で死去。54歳。広島県出身。安芸高女卒。
                                                          
     
    
        
    出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
	
    
  
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                    正田 篠枝 (しょうだ しのえ)
        
              
                        生年月日:1910年12月22日
昭和時代の歌人
1965年没
                                                          
     
    
        
    出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
	
    
  
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