百科事典マイペディア 「減反政策」の意味・わかりやすい解説 減反政策【げんたんせいさく】 日本では1964年から米消費は減少したが,農業技術の向上で米生産は増大し,食糧管理制度下で政府の在庫米が急増した。その対策として1969年以降に実施された政策で,作付制限と転作で米の生産調整(減反)がはかられた。国が減産面積を都道府県に割りあて,さらに市町村農家へ一律に減反させ,1997年に36%余の水田96.3万haが休耕・転作となった。さらに米の貿易自由化などの圧力も加わり,1990年代も従来どおりの減反方式が支配的であった。しかし,強制一律の減反がもたらした農業現場への深い傷にかんがみ,農林水産省は強制的な生産調整を2000年から廃止することを決定した。→ウルグアイ・ラウンド→関連項目米|水田|総合農政|農業|農業構造改善事業 出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「減反政策」の意味・わかりやすい解説 減反政策げんたんせいさく 「米作調整」のページをご覧ください。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by