源俊頼(読み)ミナモトノトシヨリ

デジタル大辞泉 「源俊頼」の意味・読み・例文・類語

みなもと‐の‐としより【源俊頼】

[1055~1129]平安後期の歌人。経信の子。俊恵しゅんえの父。自由清新な和歌によって高く評価され、保守派藤原基俊と対立した。金葉集を撰進。家集「散木奇歌集」、歌学書俊頼髄脳」。

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精選版 日本国語大辞典 「源俊頼」の意味・読み・例文・類語

みなもと‐の‐としより【源俊頼】

  1. 平安後期の歌人。経信の三男。母は土佐守源貞亮の女。歌人として重んぜられ、白河上皇の命をうけ「金葉和歌集」を撰進。同時代の多くの歌合にも作者や判者として加わり、勅撰集に採録された彼の歌は約二〇〇首を数える。家集「散木奇歌集」、歌学書に「俊頼髄脳」がある。天喜三~大治四年(一〇五五‐一一二九

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「源俊頼」の意味・わかりやすい解説

源俊頼
みなもとのとしより
(1055―1129)

平安後期の歌人。父は大納言経信(つねのぶ)。右近衛(うこんえ)少将、左京権大夫(ごんのだいぶ)を経て従(じゅ)四位上木工権頭(もくのごんのかみ)に終わる。幼時、橘俊綱(たちばなのとしつな)に養育された。父経信から音楽(篳篥(ひちりき))の才芸と和歌の家学を継承、堀河(ほりかわ)朝で帝側近の楽人・歌人として頭角を現し、父の死後は歌壇の指導者として活躍した。ことに『宰相中将国信卿家歌合(くにざねきょうのいえのうたあわせ)』や、『堀河百首』の企画などを通じて、『古今集』以来の優美な表現系列のほかに、『万葉集』好尚を中心とする新奇・卑俗・滑稽(こっけい)な歌境・歌語を導入し、また清新な叙景歌を生むなど、末代和歌の行き詰まりを打開すべく、大胆な新風を開拓した。老年期には退官、田上(たのかみ)別荘への隠棲(いんせい)と、打ち続く不遇感にとらわれていたが、そのなかで、白河(しらかわ)院の院宣を受け、『金葉和歌集』を撰進(せんしん)、また長大な歌論書『俊頼髄脳』を完成させ、ついで最晩年には自詠を部類した全歌集『散木(さんぼく)奇歌集』を編纂(へんさん)、巨匠の生涯を飾った。

[近藤潤一]

 うかりける人を初瀬の山おろしはげしかれとは祈らぬものを

『橋本不美男著『院政期の歌壇史研究』(1966・武蔵野書院)』『関根慶子著『源俊頼』(『和歌文学講座6 王朝の歌人』所収・1970・桜楓社)』『池田富蔵著『源俊頼の研究』(1973・桜楓社)』


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朝日日本歴史人物事典 「源俊頼」の解説

源俊頼

没年:大治3,4(1128,9)
生年:天喜3(1055)
平安後期の歌人。父は正二位大納言源経信。母は土佐守源貞亮の娘。子の俊重,俊恵,俊盛,祐盛,待賢門院新少将も勅撰歌人。父経信に和歌を学ぶとともに,10歳代のころ富豪橘俊綱の猶子となり,伏見亭歌会に集う歌人たちに影響を受けたかと想像される。承暦内裏歌合には楽人として奉仕。『後拾遺集』にも入集しなかった。寛治3(1089)年四条宮扇合に出詠以後,寛治7年郁芳門院根合,寛治8年高陽院七番歌合などの晴儀に相次いで出詠。嘉保2(1095)年には父経信の大宰権帥赴任に同行。承徳1(1097)年父の死により帰京。上京の途次,悲嘆哀傷の歌を多く遺している。その後,堀河天皇内裏歌壇で活躍。源国信・師時,藤原仲実・俊忠・公実などが主催する歌会,歌合に参加し,康和4(1102)年堀河院艶書合に出詠。『堀河百首』の作者に入り,企画,出題に深く関与したものと推定される。その一方で官途には恵まれず,近衛少将,左京権大夫を経て従四位上木工頭を極官とする。堀河天皇の死後,『永久百首』に出詠。内大臣藤原忠通家の歌合にもたびたび参加し,判者をも務めている。また,永久4(1116)年実行家歌合,元永1(1118)年雅定家歌合,同年人麿影供など,藤原顕季が主催,後見する歌会,歌合への出詠も多く,保安3(1122)年無動寺歌合,天治1(1124)年奈良花林院歌合などの判者を務め,藤原基俊と拮抗しつつも歌壇の第一人者として旺盛な活動を続けた。天治1年には白河法皇の命を受けて『金葉集』を選進。2度の改編を経て三奏本が嘉納された。晩年には家集『散木奇歌集』を自選。歌論書に『俊頼髄脳』がある。 院政期を代表する大歌人で,藤原俊成・定家ら後代歌人への影響も甚大である。父経信譲りの長の高い叙景歌から卑俗な誹諧歌に至る多様な風体を詠み分け,用語,素材の拡充にも積極的で,万葉語,俗語,奇語を盛んに摂取し,故事,説話への関心も高かった。秀歌の要件として「珍しき節」を重視し(『俊頼髄脳』),「我ハ歌ヨミニハアラズ。歌ツクリナリ」と任じていたというが(『顕昭古今集注』),「エモイハヌ詞ドモヲトリアツメテキリクム」自らの詠法には少なからぬ自負を抱いていたと思われる。連歌をも好んだ。

(田仲洋己)

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改訂新版 世界大百科事典 「源俊頼」の意味・わかりやすい解説

源俊頼 (みなもとのとしより)
生没年:1055-1129(天喜3-大治4)

平安後期の歌人。官人としては従四位上木工権頭まで進んだ。大納言経信の子,橘俊綱の養子。父の薫陶を得て歌才,楽才を発揮,はじめ堀河院内裏歌壇で中心的役割を果たし,組題百首の嚆矢《堀河百首》の企画を成功させ,諸歌合で作者,判者として活躍。鳥羽朝以後は藤原基俊とともに歌壇の指導者として精力的な歌壇活動を展開,歌道の文芸意識,批評意識を高めて,一時代を画した。ことに俊頼は,末代の和歌が枯渇しつつあると観察,万葉好尚の機運を作る一方,詩情・表現の〈珍しき節(ふし)〉を求め,大胆に歌詞,題材の拡充をはかり,たえず新奇な歌境の拡大を念じて卑俗な田園趣味も摂取,新風和歌を開拓して,王朝和歌に新展開をもたらした。晩年,白河院の下命により,3度の改撰を経て《金葉和歌集》(1124-27)を奏覧,また多様な詠作を収めた《散木(さんぼく)奇歌集》(1128ころ)を自撰,歌論書《俊頼髄脳(としよりずいのう)》(1112ころ)も述作した。〈鶉鳴く真野の入江の浜風に尾花波寄る秋の夕暮〉(《金葉集》巻三),〈うかりける人を初瀬の山おろし激しかれとは祈らぬものを〉(《千載集》巻十二,《小倉百人一首》にも入る)などが代表作。俊頼筆と伝える筆蹟は数多いが,京極関白集切,御堂関白集切,粽切(ちまきぎれ)《後拾遺集》の類,《古今集》巻子本,元永本《古今集》,《古今集》筋切などの類も,真蹟の確証はないとされている。
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百科事典マイペディア 「源俊頼」の意味・わかりやすい解説

源俊頼【みなもとのとしより】

平安後期の歌人。源経信の子。はじめての組題百首《堀河百首》を企画・成功させるなど,王朝和歌に新展開をもたらす精力的な歌壇活動を展開し,のちに藤原俊成を通して中世和歌へと引き継がれる,歌道の文芸意識,批評意識を高めたとされる。5番目の勅撰集《金葉和歌集》を編む。自撰家集《散木奇歌集》のほか,歌論書《俊頼髄脳》を著した。
→関連項目歌論千載和歌集

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「源俊頼」の意味・わかりやすい解説

源俊頼
みなもとのとしより

[生]天喜3(1055)頃
[没]大治4(1129)頃
平安時代後期の歌人。経信の子で俊恵 (しゅんえ) の父。従四位上木工頭。藤原基俊と相対した歌壇の権威で,寛治3 (1089) 年の『寛子扇歌合』以下多数の歌合に出詠したり判者となった。『堀河百首』や『永久百首』の作者の一人でもある。『金葉和歌集』の撰者で,勅撰集に新風をもたらし,歌学書『俊頼髄脳』の著述もある。私家集に『散木奇歌集』があり,『金葉和歌集』以下の勅撰集に 210首近く入集。伝俊頼筆『古今集』断巻がある。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「源俊頼」の解説

源俊頼 みなもとの-としより

1055-1129 平安時代中期-後期の官吏,歌人。
天喜(てんぎ)3年生まれ。源経信(つねのぶ)の3男。堀河院歌壇の中心的存在で,白河法皇の命により「金葉和歌集」を撰進した。勅撰集には210首はいっている。篳篥(ひちりき)の名手。官途にめぐまれず,木工頭(もくのかみ)でおわった。大治(だいじ)4年死去。75歳。家集に「散木(さんぼく)奇歌集」,歌論書に「俊頼髄脳」。
【格言など】憂かりける人をはつせの山おろし激しかれとは祈らぬものを(「小倉百人一首」)

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世界大百科事典(旧版)内の源俊頼の言及

【歌論】より

…歌を様式面から10種に分類把握する歌論書である(和歌十体(じつてい))。《俊頼髄脳(としよりずいのう)》は12世紀初頭に成立した歌論書で,源俊頼が関白藤原忠実の娘泰子(高陽院)の作歌参考のために書いた実用向けの歌論である。〈心〉の重視を言いつつ,〈詞をかざり詠むべきなり〉とも言って,〈言葉〉の尊重,言語世界の自立をも示唆している点が斬新であった。…

【金葉和歌集】より

…勅撰和歌集の第5番目。源俊頼撰。10巻。…

【散木奇歌集】より

…平安後期の歌人源俊頼の家集。10巻。…

【俊頼髄脳】より

源俊頼が関白藤原忠実の娘高陽院(かやのいん)泰子に献呈した歌学書。1111‐13年(天永2‐永久1)ころの著作。…

※「源俊頼」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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