滝鶴台(読み)タキカクダイ

デジタル大辞泉 「滝鶴台」の意味・読み・例文・類語

たき‐かくだい【滝鶴台】

[1709~1773]江戸中期の医師長門ながとの人。名は長愷。通称、弥八。儒学山県周南服部南郭に学び、医学山脇東洋らに学んだ。また、仏教和歌国史にも通じた。

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精選版 日本国語大辞典 「滝鶴台」の意味・読み・例文・類語

たき‐かくだい【滝鶴台】

  1. 江戸中期の儒者儒医長門国(山口県)萩の人。名は長愷。字(あざな)は彌八。通称亀松。初め藩校明倫館で山県周南に徂徠学を学び、のち江戸に出て服部南郭に学ぶ。儒学のほか国史、和歌、律令、仏教にもくわしく、また古医法を修めて医術にもすぐれた。宝暦一二年(一七六二)藩主毛利重就に召されて儒官となり、藩政にも参与した。著「鶴台遺稿」など。宝永六~安永二年(一七〇九‐七三

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「滝鶴台」の解説

滝鶴台 たき-かくだい

1709-1773 江戸時代中期の儒者。
宝永6年生まれ。小倉尚斎,山県周南にまなび,享保(きょうほう)16年江戸にでて服部南郭に師事。のち長門(ながと)(山口県)萩(はぎ)藩主毛利重就(しげなり)の侍講となった。和歌や医学などにも通じた。安永2年1月24日死去。65歳。長門出身。本姓は引頭(いんどう)。名は長愷。通称は亀松,弥八。著作に「三之逕(さんのみち)」「長門癸甲問槎(きこうもんさ)」など。

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防府市歴史用語集 「滝鶴台」の解説

滝鶴台

 江戸時代中頃の儒学[じゅがく]者です。1730年に右田の郷校[ごうこう]・時観園[じかんえん]の教授になりました。その他、毛利重就[もうりしげたか]から藩のおかかえ儒学者にされています。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「滝鶴台」の意味・わかりやすい解説

滝鶴台
たきかくだい

[生]宝永6(1709)
[没]安永2(1773)
江戸時代中期,長州萩の儒者,漢方医。服部南郭,山脇東洋らとも親交があり,徂徠学を伝え,仏教にも詳しく,藩政にも参与した。

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