日本でキリスト教が禁じられていた17~19世紀、神道や仏教の活動にも参加し村社会で普通に生活しながら、キリスト教の信仰を続けた人々。長期にわたって「潜伏」できた背景には、江戸幕府側の黙認姿勢もあった。禁制が解かれた明治以降、潜伏キリシタンたちは、①カトリックに復帰②江戸期の信仰形式を継続③仏教や神道に改宗―の3形態に分かれた。長崎県南島原市の原城跡など長崎、熊本両県の史跡などが2018年に世界文化遺産に登録された。
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江戸時代,キリシタン禁制に対して表面的には仏教徒を装いつつ,密かにキリシタンを信仰し続けた人々。コンフラリア(信心会)などの組織のもと集団的に信仰を保持した。この地下組織と共同体との結合が潜伏を可能にしたとする説もあるが,たとえば天草のように同一村内にキリシタンと非キリシタンが混在していた場合もある。このようなキリシタンの潜伏が露顕した事件を「崩れ(くずれ)」といい,大村郡崩れ・豊後崩れ・濃尾崩れ・天草崩れ・浦上崩れが著名である。潜伏キリシタンのなかには,キリシタン禁制の高札撤去(1873)以降も教会に復帰しない人々がいるが,江戸時代の潜伏キリシタンと区別する意味で彼らを隠れキリシタンとよぶ。
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…信教自由の現代社会で江戸キリシタン弾圧時代の潜伏形態を続けている人々をいう。同じように潜伏して信仰を伝承しながら1865年(慶応1)大浦天主堂で再渡来したフランス人神父プティジャンと出会い,近代カトリック教会を復活させた人々を〈潜伏キリシタン〉と呼んで区別する。現在隠れキリシタンは長崎県だけに存在し,外海(そとめ)・五島系と生月(いきつき)・平戸系に分けられ組織と生活慣習が異なっている。…
…キリシタンは各地にコンフラリア(講,組)を組織して信仰維持に努めたが,19年(元和5)以降京都,長崎,江戸等の各地で多数の殉教者が出た。幕府のキリシタン検索は寛永年間(1624‐44)にいっそう強化され,島原の乱(1637‐38)後潜伏の宣教者はことごとく捕らわれ,キリシタンは絵踏(踏絵),宗門改,寺請制によって締めつけを受け,大村の郡(こおり)崩れ,濃尾崩れ,浦上崩れのごとく潜伏キリシタン(隠れキリシタン)の摘発は続いた。1873年明治新政府は,欧米外交団の強い談判に押されてキリシタン禁制の高札を撤廃し,キリシタンはおよそ280年ぶりにようやく信仰の自由を許された。…
※「潜伏キリシタン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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