江戸幕府の役職名。江戸市中を巡回して火災や盗難の予防,放火犯・盗賊・博徒の逮捕を行った。先手頭,持筒頭,持弓頭(持之頭)から人選する。1665年(寛文5)10月,先手頭水野小左衛門守正が関東強盗追捕に任ぜられたのが最初のようである。寛政期の長谷川平蔵が著名である。もともと臨時の役であるが,制度的な変遷は少なくない。江戸市中は町奉行の与力・同心のほか,番方の諸士や徒目付,小人目付らの巡回があったが,それに加えて先手頭の1組か2組に巡回警備の役が課せられた。放火犯と盗賊をおもな対象としたため,このような名称となる。本来の役(先手,持筒,持弓)に加えて課せられた仕事なので,加役とも称される。配下に与力(5~6騎より10騎),同心(30~50人)があり,目明しも使用した。若年寄支配であったが,1862年(文久2)12月より老中支配となり,66年(慶応2)8月廃職となる。
執筆者:南 和男
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江戸幕府の職名。江戸市中の放火・博奕(ばくち)の取締りや盗賊の捜査や検挙にあたった。火盗改(かとうあらため)ともいう。1666年(寛文6)に先手頭(さきてがしら)水野守政が盗賊改加役(かやく)を命ぜられたのが始まり。ついで83年(天和3)に火方改加役が設けられたが、99年(元禄12)にいったん廃止された。1702年に再設置され、15年(正徳5)には博奕改加役も設置された。火付盗賊改は、この三つの改加役をあわせて18年(享保3)に設けられた。1862年(文久2)に独立の役職となるまでは、先手頭の兼職とされた。定員1名で、ほかに10~3月に1名が加役を勤めた。若年寄支配。役扶持(やくぶち)四十人扶持と与力(よりき)・同心(どうしん)に二十人扶持が支給された。なかでも中山勘解由(かげゆ)と長谷川平蔵は著名である。
[佐々悦久]
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…加役は本役に対する助役の意,または本役を持つ者に加えられた臨時的な役職を意味する。江戸幕府の職制ではとくに火付盗賊改についていわれることが多い。火付盗賊改は先手頭のうち1人がもっぱら兼務し(本役),冬期のみ他の先手頭1人がこれを補助した(加役)。…
…このような放火に対し,幕府は強力な取締りと厳重な処罰をもって臨んだ。まず捜査・裁判機関としては火付盗賊改(ひつけとうぞくあらため)があり,町奉行とは別に江戸町方とその周辺の取締りにあたった。民衆には犯人の逮捕,申告が奨励され,褒美(ほうび)も下された。…
… このほか,遠国奉行(京都町奉行,大坂町奉行,奈良奉行,山田奉行など)の配下にも通常与力,同心があり,それぞれの分課に分かれて裁判,警察その他の職務を担当していたが,ここにおいても,裁判関係の分課にあっては,与力が実質的に裁判担当者であった。また先手頭が兼任していた火付盗賊改(ひつけとうぞくあらため)は,みずからの配下の与力,同心を率いて,主として警察官的職務を遂行していた。【林 由紀子】。…
※「火付盗賊改」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
各省の長である大臣,および内閣官房長官,特命大臣を助け,特定の政策や企画に参画し,政務を処理する国家公務員法上の特別職。政務官ともいう。2001年1月の中央省庁再編により政務次官が廃止されたのに伴い,...
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