沖縄県中頭郡西原町にある。1950年(昭和25),沖縄戦で廃墟と化した首里城跡(那覇市)に英語・教育・社会科学・理・農・応用学芸の6学部,教職員44人と学生562人で開学。アメリカ軍政府情報教育部の所管。以後16年間は布告および布令によって管理運営され,「布令時代」といわれる。1965年に琉球大学設置法と琉球大学管理法が制定され,翌66年琉球政府立大学となり,同年短期大学部を併設。1972年沖縄の本土復帰により琉球大学および同短期大学部は国に移管されて国立大学となり,琉球大学附属病院は琉球大学保健学部附属病院となった。2004年(平成16)に国立大学法人となる。基本理念は「建学の精神である自由平等,寛容平和を継承・発展させて,真理の探求,地域・国際社会への貢献,平和・共生の追求」としている。学部は法文・観光産業科学・教育・理・医・工・農の7学部,大学院(9研究科)があり,2016年5月現在の学部学生7281人,大学院生903人。
著者: 船勢肇
出典 平凡社「大学事典」大学事典について 情報
国立大学法人。1950年(昭和25)アメリカ軍政下の沖縄に設置され、英語学、教育学、社会科学、理学、農学、応用学芸学の6学部構成の大学であった。1972年沖縄の本土復帰に伴い国立大学に移管された。1977~1984年にかけ、キャンパスをそれまでの那覇(なは)市の首里城跡から西原(にしはら)町、中城(なかぐすく)村にまたがる現地に移転した。2010年(平成22)時点で、法文学、観光産業科学、教育学、理学、医学、工学、農学の7学部がある。大学院には人文社会科学、教育学、理工学、医学、保健学、農学、法務、観光科学の8研究科が設置されている。農学研究科は鹿児島大学大学院連合農学研究科に参加している。附属教育研究施設に熱帯生物圏研究センター(全国共同)などがある。2004年4月、国立大学法人法の施行に伴い、国立大学法人となる。本部所在地は沖縄県中頭(なかがみ)郡西原町字千原(せんばる)1。
[馬越 徹]
『琉球大学編・刊『琉球大学五十年史』(2000)』▽『琉球大学編・刊『琉球大学50年史写真集』(2000)』
沖縄県中頭郡西原町に本部をおく国立総合大学。沖縄に高等教育機関を設立するのは県民多年の熱望であり,敗戦前にも専門学校設立運動が展開されたこともあったが,ついに実現しなかった。第2次大戦後,琉球米軍政部統治下で,高等学校の学生らによる大学設立運動が展開され,1950年5月,首里城跡に沖縄ではじめての琉球大学が開学,英語学部,教育学部,社会科学部,理学部,農学部,応用学芸部の6学部をおき,約560人の学生が入学した。翌51年琉球大学基本法の制定(米国民政府布令第30号),琉球大学財団の設立,52年琉球教育法の制定(同布令第66号)などにより大学の管理運営機構は複雑に変化した。64年に教養部を設置。66年琉球教育法は廃止され,琉球大学設置法および同管理法の制定施行により琉球政府立大学となり,法文学部,教育学部,理工学部,農学部の4学部をおいた(1968年に保健学部を設置,85年廃止)。66年には夜間課程の短期大学部を併設して,勤労者に高等教育の機会を開いた。72年沖縄の本土復帰により同年5月国立琉球大学となった。79年理工学部が理学部と工学部に分離し,81年には医学部を設置した。2008年観光産業科学部を設置。
執筆者:田中 征男
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