生駒 雷遊
イコマ ライユウ
- 職業
- 映画弁士
- 本名
- 生駒 悦
- 生年月日
- 明治28年
- 出生地
- 岡山県
- 経歴
- 大正末から東京浅草を中心に、無声映画時代の人気弁士として活躍。その美声と美文調のうたい文句で大衆を魅了、特に外国映画の説明がうけ「ああ、春や春、春南方のローマンス」の名文句が有名。当時、徳川夢声が山手派なら、雷遊は下町派といわれた。大正15年夢声らの「ナヤマシ会」に参加、昭和8年には古川ロッパの「笑いの王国」にも入って舞台にも出演するなど、映画がトーキーになってからは俳優業に転じた。緑波が東宝へ移り、「笑いの王国」も解散、一時は自分で一座を組織したが成功しなかった。晩年は無声映画鑑賞会などに出演して、往年の名調子を聞かせた。
- 没年月日
- 昭和39年 12月2日 (1964年)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報
生駒 雷遊
イコマ ライユウ
大正・昭和期の映画弁士
- 生年
- 明治28(1895)年
- 没年
- 昭和39(1964)年12月2日
- 出生地
- 岡山県
- 本名
- 生駒 悦
- 経歴
- 大正末から東京浅草を中心に、無声映画時代の人気弁士として活躍。その美声と美文調のうたい文句で大衆を魅了、特に外国映画の説明がうけ「ああ、春や春、春南方のローマンス」の名文句が有名。当時、徳川夢声が山手派なら、雷遊は下町派といわれた。大正15年夢声らの「ナヤマシ会」に参加、昭和8年には古川緑波の「笑いの王国」にも入って舞台にも出演するなど、映画がトーキーになってからは俳優業に転じた。緑波が東宝へ移り、「笑いの王国」も解散、一時は自分で一座を組織したが成功しなかった。晩年は無声映画鑑賞会などに出演して、往年の名調子を聞かせた。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
生駒雷遊 いこま-らいゆう
1895-1964 大正-昭和時代の活動弁士,舞台俳優。
明治28年4月1日生まれ。日活の活動写真弁士養成所でまなび,大正6年東京浅草帝国館の主任弁士となる。徳川夢声とならぶ人気をえる。映画のトーキー化で軽演劇の俳優に転じ,昭和8年古川緑波(ろっぱ)らの笑の王国に参加,のち座長。昭和39年12月2日死去。69歳。岡山県出身。早大中退。本名は悦。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
世界大百科事典(旧版)内の生駒雷遊の言及
【軽演劇】より
…その一党が中心となって33年に浅草常盤座で〈笑いの王国〉が旗揚げした。役者として生駒雷遊(いこまらいゆう)(1895‐1964),山野一郎,[古川緑波](ロッパ),大辻司郎(1896‐1952),渡辺篤(1896‐1977),関時男,清川虹子ら,作家陣に[菊田一夫],大町竜夫,貴島研二,山下三郎らが加わった。一夜づけの脚本による,いわゆる〈アチャラカ芝居〉なる言葉はここから生まれた。…
※「生駒雷遊」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」