韓国(大韓民国)の政治家。第16代大統領。8月6日慶尚南道(けいしょうなんどう/キョンサンナムド)進永(チンヨン)に生まれる。1966年釜山(ふざん/プサン)商業高校卒業後、陸軍に入隊。除隊後司法試験を受けて合格し、1977年大田(たいでん/テジョン)地方法院(地裁)判事となったが、翌1978年弁護士に転身。人権派弁護士として知られ、全斗煥(ぜんとかん/チョンドファン)軍事政権時代(1980年5月~1988年2月)は民主憲法争取国民運動釜山本部委員長として民主化運動に参加。1987年大宇(だいう/デウ)造船労働争議事件との関連で拘束され、弁護士業務停止処分にあう。1988年同郷の統一民主党総裁、金泳三(きんえいさん/キムヨンサム)に勧められ、第13代国会議員選挙に出馬して当選し、政界に進出。国会で全斗煥政権下の不正腐敗を徹底糾弾し、「聴聞会のスター」として脚光を浴びる。盧泰愚(ろたいぐ/ノテウ)政権下の1990年、金泳三が与党・民正党と統合し、民主自由党を結成したことに反発し、金泳三と決別して、金大中(きんだいちゅう/キムデジュン)と政治行動をともにする。しかし、1992年の第14代国会議員選挙、4年後の第15代選挙では落選。1995年釜山市長選挙での落選を含めて3回連続落選の憂き目にあう。金泳三の地盤である釜山から出馬したことが災いした。1997年、新政治国民会議副総裁として、第15代大統領選挙に出馬した同党総裁金大中の当選に貢献。1998年ソウルの鐘路区(チョンログ)の補欠選挙で国会にカムバックしたものの、2000年第16代選挙には落選する。しかし、金大中政権下で海洋水産部長官に登用されたこともあって次代を担うニューリーダーとして急浮上し、2002年与党・新千年民主党の大統領候補に選出される。同年12月大統領選挙で野党・ハンナラ党の李会昌(りかいしょう/イフェチャン)との接戦を制し、第16代大統領に選出された(2003年2月~2008年2月)。2003年9月新千年民主党を離党し、創設されたウリ党に入党したが、与野党の対立は激しく政権は安定しなかった。2007年10月に北朝鮮総書記金正日(きんしょうにち/キムジョンイル)と南北首脳会談を行った。2008年2月大統領を退任。親族がかかわった不正献金疑惑で捜査中の2009年5月23日に自宅近くの裏山から投身自殺。
[辺 真一]
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(金谷俊秀 ライター / 2009年)
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