石原忍(読み)イシハラシノブ

デジタル大辞泉 「石原忍」の意味・読み・例文・類語

いしはら‐しのぶ【石原忍】

[1879~1963]医学者。東京の生まれ。東大教授眼科学に関する研究専念。「色覚検査表」を作製。著「近世眼科処方集」。

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精選版 日本国語大辞典 「石原忍」の意味・読み・例文・類語

いしはら‐しのぶ【石原忍】

  1. 医学者。東京帝国大学教授。色覚異常検査表の創案者として知られる。明治一二~昭和三八年(一八七九‐一九六三

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20世紀日本人名事典 「石原忍」の解説

石原 忍
イシハラ シノブ

大正・昭和期の眼科医学者 東京帝大名誉教授。



生年
明治12(1879)年9月25日

没年
昭和38(1963)年1月3日

出生地
東京

学歴〔年〕
東京帝大医科大学〔明治38年〕卒

学位〔年〕
医学博士〔大正5年〕

主な受賞名〔年〕
朝日文化賞〔昭和16年〕,帝国学士院賞〔昭和16年〕「色神及び色盲の研究」,河津町名誉町民〔昭和32年〕,文化功労者〔昭和36年〕

経歴
陸軍軍医から明治43年陸軍軍医学校教官。軍医少将。大正元年から3年間ドイツ留学帰国後5年「日本色盲表」を作成、徴兵検査に使用される。これに改良を重ねたもの(石川式色盲検査表)が昭和8年には国際眼科学会で国際標準色盲表に推薦された。この間、大正11年陸軍一等軍医正のまま東大教授となり、翌年医学部長。昭和15年退官し、名誉教授。以後東京逓信病院長、前橋医学専門学校長を歴任戦後伊豆の河津で眼科医開業。16年には「色神および色盲の研究」で朝日文化賞と学士院賞受賞。32年学士院会員、36年文化功労者。著書に「色盲検査表」「眼病図譜」「トラコーマの病源」「日本人の眼」「近世眼科処方集」などがある。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「石原忍」の意味・わかりやすい解説

石原忍
いしはらしのぶ
(1879―1963)

眼科学者。東京生まれ。1905年(明治38)東京帝国大学医科大学卒業、陸軍軍医を志願し、翌1906年陸軍二等軍医となる。1908年東京帝国大学大学院に入り、眼科学を専攻、1910年陸軍軍医学校教官となり、1912年(明治45)ドイツに留学、眼科学を研究し、1914年(大正3)に帰国。1916年学位を取得。1922年、陸軍一等軍医正のまま東京帝国大学教授となり、医学部眼科学教室を主宰、1940年(昭和15)退職。眼科学に関する多く研究論文を発表したが、それらのなかでも色覚異常(色盲)に関する研究はもっとも優れており、「色覚検査表」は世界的に知られ、「石原表」と称されて広く使用されている。1941年には「色盲の研究」により帝国学士院賞を受け、1957年(昭和32)日本学士院会員に選ばれ、1961年文化功労者に推された。

[大鳥蘭三郎]

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改訂新版 世界大百科事典 「石原忍」の意味・わかりやすい解説

石原忍 (いしはらしのぶ)
生没年:1879-1963(明治12-昭和38)

眼科学者。東京生れ。東京大学卒。軍医となったのち,1908年東大大学院に入り眼科学を専攻。ドイツに留学,陸軍一等軍医正(のち軍医少将)の資格のまま22年東大教授となり,在任18年に及び,その間医学部長にも就いた。選兵方法改善という自らの現実的な課題もあって,視力表と色盲表の研究にとり組み,〈日本視力表〉〈石原式色盲検査表〉を確立し,後者は1917年欧文でも公表され,国際的にも認められ,主として色覚検査のスクリーニングに用いられている。ほかに眼科学全般に及ぶ業績があり,その教科書は広く用いられた。朝日賞・学士院賞受賞,日本学士院会員,文化功労者。東京逓信病院院長,前橋医学専門学校校長などに就いたが,戦後は静岡県河津町で開業のかたわら,近視眼予防のための仮名文字の研究を続けた。物理学者石原純は弟にあたる。
執筆者:

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「石原忍」の意味・わかりやすい解説

石原忍
いしはらしのぶ

[生]1879.9.15. 東京
[没]1963.1.3. 静岡
眼科医。石原色覚検査表の創案者。1905年東京帝国大学医科大学を卒業し,陸軍軍医となる。視力表の改良を命じられて 1909年片仮名の万国式日本試視力表を公表。また色覚検査表の改良に携わり,石原色覚検査表を作製した。1910年陸軍軍医学校教官。1922~40年,東京帝国大学医学部眼科教授。1943年,前橋医学専門学校教授となり,1946年に退職後は伊豆で開業した。(→色覚異常

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「石原忍」の解説

石原忍 いしはら-しのぶ

1879-1963 大正-昭和時代の眼科学者。
明治12年9月25日生まれ。石原純,石原謙の兄。軍医としてドイツに留学,大正11年母校東京帝大の教授となる。のち東京逓信病院長,前橋医専初代校長。世界的に普及した石原式色覚検査表を作成。色覚異常の研究で昭和16年朝日文化賞,学士院賞。36年文化功労者。昭和38年1月3日死去。83歳。東京出身。

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百科事典マイペディア 「石原忍」の意味・わかりやすい解説

石原忍【いしはらしのぶ】

医学者。東京生れ。石原純の兄。1905年東大卒後,陸軍軍医となり,初め外科,のちに眼科を専攻,1910年軍医学校教官,1922年―1940年東大教授。眼科学の著書,論文多く,特に《色盲検査表》の作製は世界的業績とされる。

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367日誕生日大事典 「石原忍」の解説

石原 忍 (いしはら しのぶ)

生年月日:1879年9月25日
大正時代;昭和時代の眼科医学者。東京帝国大学教授
1963年没

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世界大百科事典(旧版)内の石原忍の言及

【トラコーマ】より

…この小体は,1907年にプロワツェクStanislaus Joseph Mathias von Prowazek(1875‐1915)らによって発見され,トラコーマの病原体であると推定されたものである。その後,この考えに疑義が出されたが,石原忍らは37‐41年に,プロワツェク小体によりトラコーマが生ずることを証明した。現在,プロワツェク小体はクラミディアの1種によるものとされている。…

※「石原忍」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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