神恵内村
かもえないむら
面積:一四七・七一平方キロ
明治三九年(一九〇六)四月古宇郡神恵内村・珊内村・赤石村が合併して新たに神恵内村となる。積丹半島の西部中央に位置し、西に日本海が広がる。北は積丹郡積丹町、東は古平郡古平町、南は古宇郡泊村に接する。北部の大天狗山(八五一・六メートル)、珊内岳(一〇九一・一メートル)、ポンネアンチシ山(一一四五メートル)、東部の両古美山(八〇六メートル)、当丸山(八〇〇・三メートル)などが積丹半島の尾根を形成し、また町境ともなっており、海岸部まで山嶺が迫り、急傾斜の地勢をみせている。これらの山々を源流域としてオネナイ川・珊内川・大森川・二ノ目川・古宇川などが南西流、その流域に集落が営まれる。農耕地は古宇川流域に限られ、総面積の八六パーセントが国有林で占められており、生業は漁業を主体としてきた。海岸線は約三九キロで、海岸沿いに国道二二九号(小樽市・江差町方面)が通る。
神恵内村
かもえないむら
[現在地名]古宇郡神恵内村大字神恵内村
明治初年(同二年八月―六年の間)から同三九年(一九〇六)まで存続した村。現神恵内村域の南部にある。ポンネアンチシ山・両古美山を水源とする古宇川の河口部に集落が形成される。近世より「カムイウシナイ」(山川地理取調図)などとみえ、フルウ場所の運上家が置かれた。明治四年の「春日紀行」に「神茂恵内」とある。同五年古宇病院設置。同六年の「後志国地誌提要」に神茂恵内村とみえ、戸数七三(うち土人一一)・人口二九四(うち土人四九)、寄留戸数二〇、男一四二・女七二。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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