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中国、前近代の基本的な歴史叙述の形式。司馬遷(しばせん)の『史記』で創案された体裁であり、後の「正史」に受け継がれた。紀(本紀(ほんぎ))は年代記、伝(列伝(れつでん))は人物史である。『史記』『北史(ほくし)』『南史(なんし)』などの通史の場合の本紀は、各王朝の大筋の歴史、または帝王ないしはそれに準じる者の事跡を編年体で記す。『漢書(かんじょ)』などの断代史の紀は、皇帝ごとの年代記としての帝紀(ていき)となる。正史の場合には、紀と伝のほかに、各種年表の表(ひょう)、制度・学芸・経済などの分野別の歴史である志(し)・書(しょ)、諸侯・群雄を別項としてたてる世家(せいか)などの部分が加えられることもあり、外国史は一般に伝の部分に編入された。
[尾形 勇]
『『支那史学史』(『内藤湖南全集11』所収・1969・筑摩書房)』
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中国における歴史書の叙述形式。基本的には皇帝在位中の年代記である本紀,臣下の伝記の集成である列伝から構成され,ほかに志や表などをもつものもある。正史はすべて紀伝体によっており,列伝には日本など外国の伝がたてられている場合も多い。年ごとに記事を連ねていく編年体は先秦時代からあったが,紀伝体は前漢中期の司馬遷(しばせん)の「史記」で創始され,後漢の班固(はんこ)の「漢書」で踏襲されてから正史の記述形式として定着し,中国史書の最も正統的な編纂形式となった。朝鮮でも「三国史記」が本紀・列伝・年表・志からなる紀伝体で,日本では「大日本史」が志・表を含む紀伝体の史書である。
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中国の史書編纂形式の一つ。『史記』に始まり,『漢書』が継ぎ,歴代の正史はこの体裁をとった。本紀(皇帝年代記),列伝(臣下の伝記,外国記事),表(年表,世系表など),志(諸制度その他)からなる。表と志は欠けることもある。
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…なお,現行本《史記》の中には,司馬遷の原文が失われて,後人の書き加えた部分が若干存在する。 《史記》の記述形式は,このように年代記,年表,問題史,伝記など,多くの歴史記述の形式を部類別に整然と統合したもので,みごとな構成を示しており,《史記》をついで後漢時代の初めに書かれた《漢書(かんじよ)》以後,〈書〉の部分は〈志〉に改められたり,〈世家〉の部類はなくなったりするが,〈本紀〉と〈列伝〉とを本質的な構成要素とするこの記述形式は〈紀伝体〉とよばれて,以後2000年にわたる中国の正史(正統と認められた歴史記述)はこの〈紀伝体〉によって書くべきものとされた。ただ,以後の正史はすべて一つの王朝か,またはいくつかの王朝をまとめた断代史となり,《史記》のような通史ではなくなった。…
…司馬光の《資治通鑑(しじつがん)》をいったん解体し,戦国時代から五代に至る1362年間の歴史を239篇の〈事〉(歴史事象,できごと)に再編成し,それぞれの本末(てんまつ)を記したもの。もともと中国の歴史記述の様式には紀伝体と編年体があるが,前者は各パートが独立しているため,同一の〈事〉が重複して現れることがあるし,後者は時間が主で〈事〉が従であるため,複数の〈事〉が並行して記述されたり,ひとつの〈事〉がしばしば寸断される結果,〈事〉をひとまとまりとしてとらえがたいという欠点がある。袁枢はここに第三のスタイルとして紀事本末体を創案し,その克服を図ったのである。…
※「紀伝体」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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