朝日日本歴史人物事典 「緒方春朔」の解説
緒方春朔
生年:寛延1.8.18(1748.9.10)
江戸後期の医学者。久留米藩(久留米市)藩士瓦林清右衛門の次男。久留米生まれ。名は維章,済庵と号した。洞雲軒,混卿の別号もある。のち久留米の緒方元斎の養子となる。はじめ長崎に遊学して吉雄耕牛の門に入る。清の『医宗金鑑』の人痘接種法を読み,李仁山の施術を聞いて人痘接種法の実施に心をくだいた。寛政1(1789)年5月秋月藩主黒田長舒にその才能を認められて藩医にあげられ,同2年に鼻乾苗法を用いて,人痘接種に最初の成功をおさめた。この成功を広く世に伝えようとしてまとめたのが『種痘必順弁』(1795)である。仮名交じりのやさしい表現をもつ同書のほか,医家向けの専門書として『種痘緊轄』(1796)や『種痘証治録』(同)がある。<参考文献>富士川游「緒方春朔」(『富士川游著作集』7巻)
(深瀬泰旦)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報