知恵蔵 「蔡英文」の解説
蔡英文
台湾南部の出身の実業家を父として、多くの兄弟姉妹と共に育つ。国立台湾大学法学部を卒業後は米国や英国に留学して学位を取得した。帰国後に、同国の大学で教員となり、国民党の李登輝(リー・トンホイ)政権下で学識経験者として政府の様々な委員会委員などを歴任した。00年に民進党の陳水扁(チェン・ショイピエン)政権が発足した後は、閣僚である行政院大陸委員会の主任委員に就任。04年には台湾の国会に相当する立法院に民進党から出馬して当選し、後に、行政院副院長(副首相)を務めた。08年、民進党下野後の党主席選で圧勝し、同党の党勢挽回に力を尽くした。総統選の初出馬は12年、立法院(立法委員選挙)とのダブル選挙で競り合ったが、国民党現職の馬英九(マー・インチウ)には及ばなかった。16年の総統選に再出馬し、朱立倫(チュー・リールン)国民党主席らと覇を競い、再度のダブル選挙となった立法委員選挙ともども大勝を収めた。この背景としては、国民党の馬政権が進めてきた対中関係緊密化に対する、台湾社会の警戒感があるものと見られている。
蔡英文の政治姿勢については、党内でも主張が空虚曖昧(あいまい)で終始一貫しないなどの批判もあるが、柔軟で現実的な新しい時代の指導者として台湾での人気は高い。台湾独立を標榜(ひょうぼう)する民進党の中で、蔡英文は比較的穏健な立場に属しており、台湾は独立国家と主張し、今は国民党を離れている李登輝とも一定のつながりを持つとされる。総統就任演説では、民主的な選挙で3度目の政権交代を実現し民主国家として歩みを進めることを強調し、中国には東シナ海や南シナ海での領有権争いを棚上げして共同開発を主張するなど対話継続を呼びかける。一方で、日米欧など共通の価値観を持つ諸国との全方面の協力を進め、環太平洋連携協定(TPP)などへの参加を積極的に進める意向を表明した。また、中国・台湾を不可分と定める中華民国の憲法体制は中台の政治的基礎に含まれるとも述べたが、中台を一体とする「一つの中国」原則に言及することは避けた。これについて、中国側からは不満が示されている。「一つの中国」原則(92年コンセンサス)は中台双方の窓口機関の間での事務レベルの折衝過程で口頭で形成したとするが、合意文書は交わされておらず中台双方の当局者もその解釈や有効性について流動的である。台湾は、馬政権下ではこれを中台交流の基礎にするとしたが、民進党はそのような共通認識は存在せず認められないと主張してきた。政権発足後、中国側はいかなる形の台湾独立運動にも断固反対であるとし、「一つの中国」原則を受け入れない限り、対話・連絡メカニズムを継続できないと牽制(けんせい)を強めている。
日台関係は、領土問題や抗日戦争の歴史などを強調する馬政権で冷え込んでいたが、蔡政権では対日窓口機関トップに有力者を配するなど関係の改善に意欲的で、関係改善・緊密化が進むと期待されている。
(金谷俊秀 ライター/2016年)
出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報