藤田謙一(読み)フジタ ケンイチ

20世紀日本人名事典 「藤田謙一」の解説

藤田 謙一
フジタ ケンイチ

明治〜昭和期の実業家 日本商工会議所初代会頭;貴院議員(勅選)。



生年
明治6年1月5日(1873年)

没年
昭和21(1946)年3月12日

出身地
青森県弘前市

旧姓(旧名)
明石

学歴〔年〕
明治法律学校(現・明治大学)〔明治27年〕卒

経歴
大蔵省に入省。明治29年たばこ企業・岩谷商会に転じ支配人となる。政財界に顔が広く、台湾塩業の専務を経て、第1次大戦時の大正初期には大日本塩業、日活、東洋製糖、東京護謨などで重役を務める。昭和3年日本商工会議所会頭、勅選貴族院議員。同年国際労働会議の日本代表、4年売勲疑獄で検挙、起訴され、9年有罪確定後、財界を引退。晩年堤康次郎の伊豆箱根土地(のち国土開発興業)の初代社長を務め、初期西武系諸事業の発展に尽力した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤田謙一」の解説

藤田謙一 ふじた-けんいち

1873-1946 大正-昭和時代前期の経営者
明治6年1月5日生まれ。大蔵省にはいり明治29年天狗たばこの岩谷商会支配人に転ずる。台湾塩業専務をへて大正15年東京商業会議所会頭。昭和3年日本商工会議所初代会頭となり,国際労働会議に使用者代表として出席した。貴族院議員。昭和21年3月12日死去。74歳。青森県出身。明治法律学校(現明大)卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の藤田謙一の言及

【売勲事件】より

…賞勲局疑獄ともいう。私的に巨額な負債を負って苦しんでいた天岡は,1928年11月の天皇即位大礼を機に行われた大幅な叙勲に際し,東京商工会議所会頭藤田謙一,日活社長横田永之助,日魯漁業会長堤清六らから叙勲の報酬として収賄した。この事実は浜口雄幸民政党内閣のもとで摘発されたが,勲章を売るという衝撃的な事件のため,政党内閣の下で相次いだ他の疑獄事件とあわせて,既成政党と財界の腐敗を世間に強く印象づけることとなった。…

※「藤田謙一」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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