東京都を管轄する警察。皇居外苑の桜田門に面した千代田区霞が関2丁目に本部を置く。総務、警務、交通、警備、地域、公安、刑事、生活安全、組織犯罪対策の九つの部と三つの対策本部があり、都内に10の方面本部と102の警察署を配置。府中市に警察学校がある。2023年12月時点で4万3566人の警察官と3015人の警察行政職員が勤務し、計2千台超のパトカーや白バイに加え、警察犬34頭と馬15頭、ヘリコプター14機、警備艇23隻も保有する。
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首都東京の警察機構。1874年1月15日設置。1947年12月の警察法公布まで,首都警察としての特別の国家的性格を与えられ,東京府からは独立して,警察行政全般(衛生,消防などを含む)に絶大な権限をもった。長官である警視総監は,内務大臣,警保局長とともに内務三役と称され,内閣と進退をともにした。
明治維新当初の東京の警察は,諸藩兵からなる府兵によって担われていたが,1871年(明治4)10月新たに邏卒(らそつ)3000人(うち2000人は鹿児島県下より徴募)をおき,東京府のもとに取締組を編成した。72年8月司法省に移管。同年9月より大警視川路利良がヨーロッパで警察制度の調査に従事し,73年9月警察制度改革に関する建議書を提出,首都警察の政府直属を主張した。これが折から征韓論政変によって主導権を握った大久保利通の認めるところとなって,73年11月新設の内務省のもとで警察制度の抜本的改革が進められた。74年1月警察行政は司法省から内務省に移管され,東京府下の警察を管轄する東京警視庁が創設された。これにともなって警察概念も行政警察と司法警察の二つに区別され,〈人民ノ凶害ヲ予防シ世ノ安寧ヲ保全スル〉行政警察が警察活動の中心にすえられた。創設当初の定員は6000人,その90%以上が士族で,とくに鹿児島県出身者の比重が高かった。以後,東京府下の治安の確保に従事しつつ,政府直属の警察力として士族反乱や農民一揆など反政府運動の弾圧にも動員され,77年西南戦争には別働第三旅団として参戦した。77年1月いったん廃止されて内務省警視局に吸収されたが,自由民権運動の高まる中,81年1月再設置。〈国事警察〉(政治警察)を重視して,反政府運動への取締り体制を強めた。86年官制では,警視総監は内務大臣の指揮命令とともに,〈高等警察〉(政治警察)については内閣総理大臣の指揮をうけると規定する。明治憲法体制のもとで,藩閥官僚勢力の〈耳目(じもく)〉〈爪牙(そうが)〉として,政党の活動に対抗していった。
以上のような警視庁のあり方に変容が迫られるのは,日露戦争後である。1905年9月日比谷焼打事件では,民衆暴動によって東京全市の警察官署数の8割が焼失・破壊にあい,以後,民衆の警察非難,不信は強まった。これを背景として警視庁の廃止を求める運動が組織され,06年1~2月帝国議会で廃止問題が審議されるに至った。これに対して第1次西園寺公望内閣の内相原敬(政友会)は,警視庁に改良は加えるが,廃止には絶対に反対すると表明して改革に着手。4月官制を全面改訂して,高等警察に関する首相直属規定を削除するなどの改革を実施するとともに,高等課を新設して社会運動取締り体制を整備した。また,人事の刷新によって藩閥官僚勢力の牙城警視庁の切崩しに手をそめた。
1911年8月大逆事件を契機として特別高等課を設置。以後,第1次世界大戦後にかけて工場課,外事課,建築課,人事相談課などを新設し,また人員の増加をはかって23年には1万2000人を超えた。1918年米騒動後に成立した原敬内閣のもとでは,大正デモクラシー状況に対応しようとする動きが本格化し,警視庁においても〈警察の民衆化〉と〈民衆の警察化〉が提唱された。しかし22年ころから〈力の警察〉を強調する方向がおこり,これは25年の治安維持法制定,28年の特別高等警察(特高)の全国的大拡充を経て,しだいに強まっていった。32年特別高等警察部を設置して特高機構を拡充。こうした中で,警察官には〈陛下の警察官〉たるべきことが要請されていった。一方,33年には桜田門事件,血盟団事件,五・一五事件など不穏な情勢に対処するために特別警備隊(通称〈昭和の新選組〉)を設置し,非常事態に実力であたる態勢を強化した。日中戦争の全面化にあたって物資の統制を本格化するため,38年保安部に経済保安課を新設して経済警察を担当。これは41年経済警察部の新設へとつらなって,戦時経済の強制的確立をはかっていった。また,1937年防空法の施行にともない警務部に防空課を設け,39年警防課と改称,各警察署単位に警防団を設置して,防空と治安の確保に当たらせた。
敗戦後の1945年,特別高等警察部,情報課,経済警察部などを廃止。47年12月の内務省廃止,警察法公布により警視庁は都公安委員会のもとにおかれ,警視総監は国家公安委員会が都公安委員会の同意と内閣総理大臣の承認を得て任免することとなった。また警察法に基づく自治体警察への機構改革によって,都下の警察は特別区を管轄する警視庁と,国家地方警察,三多摩地区自治体警察の3系統になった。しかし警察の中央集権化を意図した54年警察法全面改訂によって,警視庁のもとに一本化された。52年4月サンフランシスコ講和条約発効に際して本部機構を改革,警備第一部,警備第二部(1957年公安部と改称)などをおき,同年7月公布の破壊活動防止法と相まって,社会運動を取り締まる警備公安警察の比重を高めた。1948年設置の警視庁予備隊は,52年メーデー事件後,特科部隊(私服,装甲,放水,特務各中隊)を増置し,57年機動隊へと改称されて,装甲車,ガス銃などの装備を強化していった。現在,本部機構は総務,警務,交通,警備,地域,公安,刑事,生活安全,組織犯罪対策の9部からなり,警察学校が付置されている。管轄区域を10方面に分けてそれぞれに方面本部をおき,101警察署を配置,その下に交番,駐在所をおく。96年3月末現在の警察官数は4万0744人。
執筆者:大日方 純夫
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東京都警察の本部の名称(警察法47条1項)。都公安委員会の管理の下に都警察の事務をつかさどり、ならびに法令および条例の規定に基づき都公安委員会の権限に属させられた事務について都公安委員会を補佐する機関であり(同条2項)、その長として警視総監が置かれている。警視庁本部は、総務、警務、交通、警備、警ら、公安、刑事、生活安全、組織犯罪対策の9部からなり、このほか、警視庁警察学校、犯罪抑止対策本部、第一~第十方面本部、101の警察署が置かれ、約4万3千人の警察官を擁している。1874年(明治7)東京府下の警察事務いっさいを管理する東京警視庁として創設され、その地位は各府県と同等とされた。初代警視長には川路利良(かわじとしよし)大警視が任命されている。1877年内務省警視局に吸収されて東京警視本署となったが、1881年警視庁として再設置された。1947年(昭和22)警察制度の改革により、特別区のみを管轄する自治体警察とされた。その間大阪市にも大阪警視庁が設置されたが、1954年の警察法改正により、東京都警察のみが警視庁とよばれ、都警察の本部として位置づけられた。
[太田 誠]
1874年(明治7)1月首都東京に設置された警察機構。当時の名称は東京警視庁。川路利良(としよし)の建議にもとづき,パリ警視庁をモデルに発足。警察事務に加えて消防隊・監獄をも管轄した。東京府庁に属さず内務省直属となり,国際警察に関する事項では太政大臣の指令をうける規定もあった。76年10月廃止となり,事務は内務省警視局に吸収され,その執行は東京警視本署があたった。81年1月復置。以後長官名を警視総監と改め,前長官の大警視樺山資紀(かばやますけのり)が引き続き就任。明治期の総監には鹿児島県出身者が多い。内閣総理大臣に政治情報を直接報告する機会も多かった。1947年(昭和22)12月内務省の廃止にともない東京都に編入された。
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…警保寮は,77年には警視局,続いて81年には警保局と改称した。そして東京では若干の変遷を経て81年に復活した警視庁が警察をつかさどり,その他の地方では90年以後警察部が警察をつかさどることとなった。こうして戦前の警察制度はほぼ確立されたが,第2次大戦終了後に旧警察法(1947公布)が制定施行されるまで,日本の警察権(警察作用の根拠となる権力)は,すべて国家の権能として行使された。…
…長らくパリ市長は中央政府が任命してきたが,1977年以来市長は市議会での選挙となり,またパリの20区arrondissements municipaux委員会委員および執行部の選出も自治に基づくものへと改められた。しかしパリ警視総監は中央政府任命であり,またパリ市および警視庁の投資予算は中央政府の承認を要する。イギリスのロンドンも,やはり警察が中央政府の監督の下におかれている。…
…旧体制に代わる新しい中央集権的な統治機構は,1871年の太政官制の整備をはじめ,同年の府県官制,県治条例,72年の大区・小区制,78年の郡区町村編制法による地方制度の整備,1872年以降の裁判所の設置などによって構築された。新しい統治機構を守る軍事・警察機構は,1872年の陸海軍両省の設置と73年の徴兵令の制定,73年の内務省警保寮設置,74年の警視庁設置によって整備された。治安維持の重要な手段である刑事法は,すでに1870年に新律綱領,73年に改定律例が制定され,さらに1880年には,フランス人のボアソナードによって起草された最初の近代法典である刑法および治罪法(刑事訴訟法)が制定され,82年から施行された。…
※「警視庁」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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