デジタル大辞泉
「谷町」の意味・読み・例文・類語
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
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たに‐まち【谷町】
- [ 1 ] 大阪市中央区の地名。上町筋と松屋町筋との間を南北にのびる谷町筋に沿う。
- [ 2 ] ( 明治の末ごろ、大阪谷町筋の相撲好きの外科医が相撲取りからは治療代を取らなかったところから ) 相撲社会で、力士のひいき筋・後援者のこと。また、ひいき客に散財させること。
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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谷町
たにまち
[現在地名]丸岡町谷町
丸岡城の南西、南北に走る丸岡街道沿いの町で城下一の繁華街。上・中・下の三町に分れ、下谷町の南に谷町口門(福井口門)がある。北は新町に接し、西裏側は諸寺が並ぶ。当町は石城戸町とともに天正四年(一五七六)柴田勝豊の丸岡移城に従って豊原から移ったと伝え、豊原には西谷・南谷の名が残る。
慶長一八年(一六一三)の丸岡城下図に「谷町通り」とみえ、寛永年間(一六二四―四四)と推定される丸岡町絵図(佐久見家文書)には北から谷町上・中・下丁と記され、家数は一〇二、その他西裏側には北から法栄寺・上天神・福聚寺・西得寺・盛昌寺・下天神の六社寺が並ぶ。
谷町
たにまち
[現在地名]姫路市西駅前町・忍町
飾東郡に所属。姫路城南西の外堀のすぐ南、飾磨門(飾磨口)の西に位置し、忍町と豆腐町の間にある(「兵庫県市町村合併史」附図など)。初め片豆腐町として飾万津町二〇町に含まれ、飾万津の町奉行の管轄とされた。中世は南畝村の内で、近世初頭に飾磨門から飾万津へ通じる街道沿いが町場化する過程で当町が形成されたと考えられる。元禄一七年(一七〇四)の姫路城城下町数飾万津町数覚(伊藤家文書)に外豆腐町と片豆腐町がみえる。
谷町
たにまち
[現在地名]中央区西公園
荒戸山の南西麓の東西に延びる通りの両側町。福岡博多近隣古図では荒戸山の源光院の南の一画に「荒戸谷丁」、南東の一画に「荒戸村内谷丁」と記され、本来の読みは「たにちょう」か。武家町で南は荒戸五番町、西は伊崎浦。宝永分限帳(集成)では「荒戸六番町」と記され、南側に山路主税ら四名の屋敷、北側に長浜兵右衛門ら七名の屋敷と鉄砲矢倉付などの三つの屋敷地がみえる。
谷町
たにまち
[現在地名]金沢市長町二―三丁目
西の穴町と高儀町の交点より東へ入り、神谷町に入る通りを挟む両側町。文政六年(一八二三)神谷町の一部から分立(「又新斎日録」加賀藩史料)。同年の肝煎は藤兵衛(町奉行より出候町名)。
谷町
たにまち
[現在地名]福井市春山二丁目
下呉服町から東へ折れた下谷町、その東を南北に延びる上谷町の二町に分れる。一乗谷から家屋を移してできた町という。城下で武家出入商人の得意先回りを「谷回り」とよぶのは、一乗谷時代の名残という。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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谷町
後援者、ひいきのこと。明治末、大阪谷町筋の医者が力士たちの面倒を見たことから。
出典 (株)朝日新聞出版発行「とっさの日本語便利帳」とっさの日本語便利帳について 情報
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