邑知潟(読み)オウチガタ

デジタル大辞泉 「邑知潟」の意味・読み・例文・類語

おうち‐がた〔おふち‐〕【邑知潟】

石川県羽咋はくい市の潟湖せきこ能登半島基部にあり、トキの生息地であった。現在は干拓され、ほとんど消滅。もと大蛇潟おろちがたとも。

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精選版 日本国語大辞典 「邑知潟」の意味・読み・例文・類語

おうち‐がたおふち‥【邑知潟】

  1. 石川県能登半島基部にあった潟湖(せきこ)。トキの生息地として知られた。現在は大部分が干拓され、羽咋(はくい)市に一部が残る。千路(ちじ)潟。菱湖。

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日本歴史地名大系 「邑知潟」の解説

邑知潟
おうちがた

能登半島の基部を北東から南西方向に走る邑知低地帯(邑知地溝帯)にあった潟湖。現在は干拓が進んで羽咋市に一一〇ヘクタールほどが残るのみだが、かつては北東方の鹿島郡域にも及んでいたという。羽咋潟・千路ちじ潟・ひし湖ともよんだ(「能登志徴」など)。また羽咋神社旧記(羽咋神社蔵)には、羽咋神社(現羽咋市)の祭神石撞別王の猟場であったことから大内おおち潟と称したとある。「万葉集」巻一七の大伴家持の歌に「之乎路しをぢから直越え来れば羽咋の海朝凪ぎしたり船楫もがも」と詠まれている「羽咋の海」を邑知潟とみる説もあったが、現在は否定的である。気多神社縁起(気多神社文書)に、気多神社の祭神大己貴命が「鹿島路湖」の大蛇を退治し、海路を開いたとあり、この鹿島路湖は当潟とされる。文明一八年(一四八六)に能登国を訪れた京都聖護しようご院門跡道興の紀行文「廻国雑記」に「藤井といへる所は浦ちかき里也ければ波を見てよめる」とみえ、当時藤井ふじい(現鹿島町)が当潟の入江であったことが知られる。

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改訂新版 世界大百科事典 「邑知潟」の意味・わかりやすい解説

邑知潟 (おうちがた)

石川県能登半島基部の南西から北東方向に走る邑知潟低地帯(邑知潟平野)の西部に位置する潟湖。羽咋(はくい)市に属する。邑知潟低地帯は幅5km内外,長さ約25kmの帯状をなし,邑知潟地溝帯と呼ばれることもあるが,この両側の崖で断層が確認されないため地溝帯ではないとされる。干拓前の潟湖は周囲13.7km,面積7.87km2であったが,第2次世界大戦前に県営で一部干拓されたのち水没し,戦後1952年から国営事業として干拓が進められ,68年に完成した。戦後の干拓では約90haを遊水池として残し,約300haの農地が造成された。干拓前の邑知潟では千路(ちじ),鹿島路の漁民によって内水面漁業が営まれ,シジミ,フナ,コイ,ウナギ,ボラ,ワカサギなどが漁獲されていた。また潟中から採れる潟藻は化学肥料が普及する前は周辺の村々の水田で肥料として重用された。邑知潟はかつてはかなり広大な水面をもっていたと推定され,潟に流入する長曾川,飯山川などの沖積作用でしだいに面積が縮小した。そして加賀藩時代に底が浅くなった部分から周辺の村々によって干拓が進められ,新田が開発されてきた。邑知潟低地帯は全域に水田が広がり,潟の周辺は湿田地帯であるが,低地帯の北半は乾田地帯で用水が不足し,溜池が多い。付近では農家の兼業として加賀地方から発展してきた織物業が盛んである。低地帯北縁に沿って七尾線が通じる。
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百科事典マイペディア 「邑知潟」の意味・わかりやすい解説

邑知潟【おうちがた】

石川県能登半島基部の邑知潟低地帯にある淡水の潟湖(かたこ)。古くは羽咋(はくい)潟・千路(ちじ)潟・菱湖とも称され,縁辺部は新開が進み,江戸初期に村立てが行われている。水面標高2.2m。フナ,ワカサギ,ウナギ,コイなどの漁獲がある。面積は7.87km2あったが,国営干拓事業により遊水路のみの0.9km2に縮小した。1968年完工。
→関連項目石川[県]鹿島[町]志雄[町]鳥屋[町]羽咋[市]鹿西[町]

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「邑知潟」の意味・わかりやすい解説

邑知潟
おうちがた

石川県羽咋市(はくいし)にあった潟湖(せきこ)。1968年(昭和43)国営の干拓工事が完了し、残存水面は1.5平方キロメートルとなり、他は水田となっている。干拓前は4.65平方キロメートル、水深1.8メートル(大正中期は面積7.87平方キロメートル)の淡水湖で、コイ、フナ、ワカサギなどが漁獲された。邑知潟地溝帯に位置し、長曽(ながそ)川、飯山(いのやま)川などが土砂堆積(たいせき)させ、羽咋川で日本海に排出していたが、よく冠水し、塩害も受けた。国際保護鳥であるトキの生息地でもあった。千路潟(ちじがた)、菱湖(ひしこ)、大蛇潟(おろちがた)ともいわれ、大国主命(おおくにぬしのみこと)が潟の大蛇を退治した伝説がある。干拓は江戸時代より行われ、潟の藻(も)を肥料に利用してきた。2012年(平成24)の残存水面は約0.8平方キロメートル。

[矢ヶ崎孝雄]

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