政治家。岩手県山田町に生まれ、水産講習所卒業。水産業界を舞台に活躍し、1947年(昭和22)日本社会党から衆議院議員に当選。その後社会革新党を経て民主自由党へ移る。池田勇人(いけだはやと)内閣の郵政大臣、官房長官、佐藤栄作内閣の厚生大臣、自由民主党(自民党)総務会長などを歴任。田中角栄内閣成立時には田中―大平(おおひら)連合の橋渡しの役割を果たした。鈴木は党内のとりまとめ役としての手腕にたけ、いわば「縁の下の力持ち」的存在であったが、大平正芳(おおひらまさよし)急死後、大平派を継承し、かつ大方の予想を裏切って1980年7月田中、福田両派の支持で首相に就任した。自民党の絶対多数を背景に、日米「同盟関係」の明言、防衛力増強、実質的な靖国(やすくに)神社公式参拝など右寄り路線を推進したが、公約とした「増税なき財政再建」の方針が破綻(はたん)し、また教科書問題などで内外の批判が高まるなか、1982年10月退陣を表明した。1990年(平成2)政界を引退。
[伊藤 悟]
『読売新聞社政治部編『総理大臣鈴木善幸――政治家523人がつくりあげる80年代権力構造の全容』(1980・現代出版)』▽『岩手放送編・刊『元総理鈴木善幸激動の日本政治を語る』(1991)』
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