靖国神社(読み)ヤスクニジンジャ

デジタル大辞泉 「靖国神社」の意味・読み・例文・類語

やすくに‐じんじゃ【靖国神社】

東京都千代田区にある神社。幕末および明治維新以後の国事に殉じた人々の霊を合祀ごうしする。明治2年(1869)東京招魂社として創建。明治12年(1879)現社名に改称。4月と10月例大祭、7月にみたま祭りが行われる。

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共同通信ニュース用語解説 「靖国神社」の解説

靖国神社

東京都千代田区にある神社。戊辰戦争で亡くなった官軍兵士を慰霊するためにつくられた「招魂社」が前身。日清・日露戦争や太平洋戦争などの戦死者約250万人が祭神となっている。東条英機元首相らA級戦犯も合祀ごうしされている。首相や閣僚の参拝は中国や韓国との関係や「政教分離」の観点から、外交、政治上の問題が付きまとう。4月には海上自衛隊の元海将が宮司に就任した。防衛省は靖国神社に限らず、宗教の礼拝所を部隊で参拝したり、隊員に参加を強制したりするのを事務次官通達で禁じている。

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精選版 日本国語大辞典 「靖国神社」の意味・読み・例文・類語

やすくに‐じんじゃ【靖国神社】

  1. 東京都千代田区九段北、九段坂の上にある神社。旧別格官幣社。幕末および明治維新以後の国事に殉じた人々(約二五〇万柱)をまつる。明治二年(一八六九明治天皇の発議で創立。はじめ東京招魂社と称したが同一二年現在名に改称。まつられた人々の遺族の昇殿参拝に特色をもつ。例大祭は春秋二期。夏に「みたま祭」が行なわれる。

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改訂新版 世界大百科事典 「靖国神社」の意味・わかりやすい解説

靖国神社 (やすくにじんじゃ)

東京都千代田区九段坂上に鎮座。1879年6月4日に東京招魂社を抜本的に改革,靖国神社と改称,別格官幣社に列せられた。嘉永癸丑(1853)以来の国事殉難者,戊辰戦争の戦没者に加え,西南戦争の戦死者をはじめ,以後日本の対外戦争における戦死者を〈靖国の神〉となして国家がまつったもの。祭日は,1869年に東京招魂社が,正月3日(鳥羽・伏見の戦の日),5月15日(上野彰義隊の戦の日),5月18日(函館五稜郭降伏の日),9月22日(会津降伏の日)と戊辰内乱の折り目に設定したのをふまえ,靖国神社となったさいに会津降伏の11月6日(陰暦9月22日)を正祭となし勅使が派遣され,春の大祭を5月6日として春秋に整理された(現在の例祭は4月22日,10月18日)。一般神社が内務省管轄下であるのに対し,靖国神社は陸・海軍省と内務省の3省で管理運営された特別の神社であった。運営の主導権は財政をになった陸軍省がもち,内務省は神官の人事に関する権限しかもたなかった。祭主には祭典の主催に応じて陸・海軍武官が任命された。天皇の弔祭をうけ,70余におよぶ行啓幸がなされた。境内には遊就館が設置され,まつられている死者の生前をしのぶ遺品を展示し,近代日本の戦争記念館のおもむきをもつ。遺家族は,合祀の祭典等のさいに招待され,昇殿参拝をした。そのため,靖国神社は日清・日露戦争を経て戦死者が増大するにつれ,広く一般に浸透した。氏子をもたない靖国神社は,国家が戦争による死を〈国家隆昌〉をになったものとして意義づけて〈靖国の神〉となし,死者によせる遺族の心情を国家に収斂しゆうれん)する場であったともいえよう。その意味では,日本の軍国主義と密接な関係をもった神社とみることができる。一方戦死者の遺家族には,肉親が〈靖国の神〉となることによって〈靖国の家〉という優越感を抱き,誇りとするむきもあった。第2次世界大戦敗戦後は神社本庁下の一宗教法人として存続。しかし日本遺族会(〈遺族会〉の項参照)や郷友連盟などは,講和後の1955年より,靖国神社国家護持運動を積極的に推進,〈靖国神社法案〉の成立をめざしている。この問題は,戦没者への国民感情のありかたにもかかわるが,信教の自由に対する認識にかかわるものでもある。
国家神道
執筆者: 一方,この神社は招魂社の名で東京市民に親しまれ,例大祭には多くの人出があった。かつて競馬場のあった境内の東側あたりには見世物や屋台が出て,明治・大正・昭和前期の東京風物詩となった。また1887年に建てられた青銅の大鳥居,88年建立の大村益次郎の銅像,1871年に開館し,武具や戦利品を陳列した遊就館,常夜灯などは,当時の東京新名所靖国神社に欠かせないものでもあった。
招魂社 →護国神社
執筆者:

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百科事典マイペディア 「靖国神社」の意味・わかりやすい解説

靖国神社【やすくにじんじゃ】

東京都千代田区九段北に鎮座。旧別格官幣社。1853年以降の殉難者,戦死者約250万柱をまつる。1869年東京招魂社(招魂社)として創建。社地は大村益次郎の選定による。1879年現名に改称。1887年から陸海軍省の所轄となり,臨時大祭ごとに天皇が参拝。日中戦争期の1939年からは府県ごとの護国神社,市町村ごとの忠魂碑が設立され,靖国神社を頂点とする〈英霊〉奉賛体系が整備された。戦後の政教分離で宗教法人となり,神社本庁にも属さないが,1952年以降,日本遺族会など保守勢力は靖国神社国家護持をめざし,1969年から1975年まで法案が5回上程されたが不成立。この間1959年に国は宗教色をもたない無名戦没者墓地として千鳥ヶ淵墓苑を設けた。その後1978年神社側は刑死・獄死したA級戦犯14人をひそかに合祀し,他方1985年中曾根康弘首相は戦後初めて首相として公式参拝を行い,戦争責任者を賛美する行為として韓国・中国などの強い反発を招いた。以後首相の公式参拝は中止されたが,2001年8月小泉純一郎首相が参拝,再び近隣諸国から抗議されている。さらに領土問題歴史認識問題で,韓国・中国との関係が悪化しているさなかの2013年末に安倍首相が参拝,韓国・中国はこれに強く抗議した。長年,国立の無宗教の追悼施設の新設,A級戦犯の分祀なども検討されているが進展していない。神社の例祭は春4月22日,秋10月18日。ほかに,みたま祭(7月13〜16日)。境内の遊就館(1882年開館)は,まつられている死者の遺品や武器,戦争画が収蔵・展示されるなど,近代日本の戦争の歴史を顕彰する趣の記念館である。
→関連項目九段政教分離千代田[区]中曾根康弘内閣村山談話村山富市内閣

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「靖国神社」の意味・わかりやすい解説

靖国神社
やすくにじんじゃ

東京都千代田区九段北に鎮座。1869年(明治2)戊辰(ぼしん)戦争の戦没者を招魂鎮斎するために、明治新政府により創祀(そうし)された「東京招魂社」がおこり。のち各府藩県で設けられていた地方の招魂社が廃藩置県以後、国家的な統制を受けるに伴い、中央の招魂社としての東京招魂社も正式な神社として整備が進められ、79年には靖国神社と改称、別格官幣社に列格した。陸・海軍両者の所管になるが、その管理は創建の由来からおもに陸軍省があたった。別格官幣社の制は72年に始まるが、国家的な功績のあった人を祭神とすることを特色とした。当社の祭神はその後、53年(嘉永6)以降の国内の戦乱、また対外戦争である日清(にっしん)戦争、日露戦争、第一次世界大戦、満州事変、日中戦争、太平洋戦争などの戦没者(軍人、民間人ほか)を合祀し、現在約246万人(女性祭神約6万人)。例大祭(4月22日、10月18日)には天皇からの勅使が遣わされ、またその前夜には祭神としての合祀祭が行われる慣例である。国家との関係は、戦後は全面的に断たれたが、「靖国神社問題」として国家護持、首相の公式参拝、A級戦犯合祀問題など、神社の歴史的性格と国家、政府との関係をどう扱うか、未解決のままである。

[牟禮 仁]


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「靖国神社」の意味・わかりやすい解説

靖国神社
やすくにじんじゃ

東京都千代田区九段北に鎮座する元別格官幣社。明治2(1869)年,明治維新の殉難者 3588柱をまつるため東京招魂社として創建され,1879年靖国神社と改称した。靖国は「安国」を語源とし,国家の平安のために殉じた者をまつる意である。創建後も,佐賀の乱神風連の乱萩の乱西南戦争日清戦争日露戦争第1次世界大戦第2次世界大戦の諸戦役の戦死者を,生前の身分,階級,性別,年齢を問わず逐次合祀し,今日約 250万柱(うち女性 6万柱)の霊がまつられている。祭神の名は霊璽簿に記され,内殿の霊床に安置される。戦役遺族者の肉親や近親者が祭神となっているという特異性のため,全国各地でいわゆる神社信仰と異なった特別の尊崇を受け,また皇室の崇敬もきわめてあつい。第2次世界大戦後,国家管理を離れて単立の宗教法人となり今日にいたっているが,その国家護持をめぐって議論が絶えない。本殿は神明造で,春季例大祭(4月21~23日)と秋季例大祭(10月17~20日)には,全国から集まった遺族の昇殿参拝が行なわれる。

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日本歴史地名大系 「靖国神社」の解説

靖国神社
やすくにじんじや

[現在地名]千代田区九段北三丁目

九段くだん坂上に鎮座する神社。明治一二年(一八七九)招魂しようこん社を改めて靖国神社と改号。旧別格官幣社。戊辰戦争・西南戦争や日本の対外戦争の戦死者を靖国の神として国家が祀った。陸・海両軍と内務省で管理運営され、内務省が管理する一般の神社とは異なった。

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知恵蔵 「靖国神社」の解説

靖国神社

戊辰(ぼしん)戦争で官軍の死者を祀(まつ)った招魂社を発展させ、国家のために戦死したり戦傷病死したりした軍人や軍で働いていた人を祀る。軍が管轄していたが、戦後は国家神道解体により一宗教法人に。1952年の遺族援護法施行と翌年の同法改正により、戦犯刑死者や獄死者も「公務死」と認められるようになって、旧厚生省が66年、A級戦犯の名簿を靖国神社に送付。神社側は筑波藤麿宮司が合祀(ごうし)に慎重だったが、後任の松平永芳宮司が78年に合祀に踏み切った。しかし、戦争指導者を合祀した同神社を首相が参拝することに中国や韓国が反発。昭和天皇は75年を最後に参拝をやめ、現天皇も参拝していない。 これに関して、故徳川義寛元侍従長は95年8月、昭和天皇が合祀への不快感を抱いていたと示唆(しさ)する証言を残していた。また小泉純一郎首相の参拝が注目されるなか、2006年7月には故富田朝彦元宮内庁長官のメモが明るみに出た。メモは88年4月28日付で、次のように記されていた。 「私は 或る時に、A級(戦犯)が合祀され その上 松岡、白取までもが 筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが 松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々と 松平は平和に強い考があったと思うのに 親の心子知らずと思っている だから私あれ以来、参拝していない、それが私の心だ」 これが昭和天皇の発言かどうか論議も呼んだが、07年4月、故卜部亮吾元侍従の日記で、富田メモの裏付けとなる長官と卜部の拝謁の記録や「合祀が(天皇の)御意に召さず」との記述が明らかになった。そのためA級戦犯の分祀案や戦争の全犠牲者を追悼する国立追悼施設設置案も出ており、安倍晋三、福田康夫両首相は在任中(08年2月現在)には同神社に参拝していない。

(岩井克己 朝日新聞記者 / 2008年)

出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報

山川 日本史小辞典 改訂新版 「靖国神社」の解説

靖国神社
やすくにじんじゃ

東京都千代田区九段北に鎮座。旧別格官幣社。祭神は明治維新前後の殉難者や戦役・事変などの国事殉難者240万柱。1869年(明治2)明治天皇の発議により招魂社が創建され,79年現社名に改称。国家神道の時期には陸海軍所管の特殊な神社として位置づけられ,祭神の遺族が昇段参拝した。第2次大戦後,国家の管理を離れ単立の宗教法人となる。しかしその後も遺族会などから当社を国営化しようとする運動がおき,また近年は閣僚の公式参拝が問題となっている。例祭は4月21~23日と10月17~19日の春秋2季。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

旺文社日本史事典 三訂版 「靖国神社」の解説

靖国神社
やすくにじんじゃ

東京都千代田区九段坂上にある神社。明治維新前後以来の国事に殉じた者の霊を祭る
幕末の国事殉難者と戊辰 (ぼしん) 戦争の官軍の戦死者を祭るため,1869年東京招魂社として設立。'79年靖国神社と改称され,別格官幣 (かんぺい) 社となり,日清戦争以来の戦没者を祭る。皇室および陸海軍の保護をうけていたが,第二次世界大戦後は国家の手を離れ,宗教法人となった。

出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報

デジタル大辞泉プラス 「靖国神社」の解説

靖国神社

東京都千代田区九段北にある神社。1869年、東京招魂社として創建。1879年改称して現名称となる。1853年以降の日本の戦争・内戦による戦死者を合祀。桜の名所。

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世界大百科事典(旧版)内の靖国神社の言及

【国家神道】より

…69年には宣教使がおかれ,翌年には大教宣布の詔が下されて,祭政一致のイデオロギーによる国民教化の方針がいっそう明確にされた。また,東京招魂社(のちの靖国神社),楠社(のちの湊川神社)など新しい神社がつくられ,天長節,神武天皇祭などの祝祭日を定めて,全国的に遥拝式が行われたりした。 神祇官を中心とするこうした諸政策は,神道国教化政策と呼ばれている。…

【招魂社】より

…靖国神社および護国神社の旧称。1862年(文久2)福羽美静(ふくばびせい)(1831‐1907)らが討幕運動で非命の最期をとげた尊皇の志士を京都東山の霊山(りようぜん)にまつり,63年八坂神社境内に小祠を建立したのが最初である。…

【信教の自由】より

…それだけでなく,日本は植民地に神社を建て参拝を強制し,朝鮮では実際,参拝拒否のために2000人のキリスト者が投獄され,牧師・長老など教会指導者50人が獄死し,200の教会が閉鎖されたという(沢正彦《南北朝鮮キリスト教史論》)。第2は靖国神社による軍国主義の鼓舞である。同神社は幕末戦死した官軍兵士らを京都で合祀したことに始まる。…

※「靖国神社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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