改訂新版 世界大百科事典 「非同盟」の意味・わかりやすい解説
非同盟 (ひどうめい)
non-alignment
第2次世界大戦後の国際社会の対立構造のなかで,東西どちらの軍事同盟にも加わらず,軍事的敵対を和らげ,南北間の経済格差を克服することを主張する立場ないし運動。〈非同盟主義〉という言葉が使われることもあるが,それほど統一した原則をもつものでもない。第6回非同盟諸国会議に参加した90ヵ国と3組織が,アジア14,中東14,アフリカ50,中南米12,ヨーロッパ3(ユーゴスラビア,キプロス,マルタ)という地域構成であったことに示されるように,参加国は圧倒的に第三世界に属しており,運動は東西対立の緩和をめざすよりは,第三世界の主張を国際社会に提示する場という性格を強めている。運動参加国は国連加盟国の約62%を占めるにいたっており,その国際関係に与える影響力は大きい。
発展
東西間の〈冷戦〉が激化し,1950年に朝鮮戦争が起こると,インドを中心とするアジア・アラブ諸国は国連などの場で,戦闘拡大の阻止と停戦の実現のために結束した。これらの国が中立主義,第三地域,中立諸国などの名で呼ばれるようになったが,彼らは〈中立〉という用語は消極的,自己保存的だとしてそれを避け,やがて〈非同盟〉という統一した用語を使うようになった。53年にインドのP.J.ネルー首相が議会で軍事ブロック反対の演説をしたのが,この言葉が生まれるきっかけだといわれる。〈非同盟は中立ではない。それは他人の災厄を見ながらお高くとまっている偽善的な態度を指すものではない。非同盟とは独立,永遠的平和,社会主義といった大義への積極的貢献を指している〉というスカルノ大統領(インドネシア)の第1回非同盟諸国会議での発言が,この言葉を採用するにいたった動機と,さらにこの言葉にかけられたやや混乱した期待をよく示している。
53年ころからの〈雪解け〉によりアジア・アフリカ諸国の独自の動きは活発になり,54年4月のコロンボ会議,55年4月のアジア・アフリカ29ヵ国のバンドン会議という形で盛り上がった。1948年にソ連圏から追放されていたユーゴスラビアのチトー大統領が,54-55年にインド,ビルマ(現,ミャンマー),エチオピア,エジプトを訪問し,56年7月にネルー,ナセル(エジプト大統領)をブリオニ島に招いて会談したことが,非同盟諸国の国際的結束の出発点となった。61年2月になって,チトーとナセルが非同盟諸国首脳会議開催のイニシアティブをとり,同年9月にベオグラードにおいて第1回会議開催のはこびとなったのである。
問題点と課題
非同盟運動の問題点の第1は,参加国の多様化と参加基準の不明確化である。すでに第1回首脳会議から,戦争回避を最優先課題とするネルーと,反植民地主義を中心課題とみなすエンクルマ(ガーナ)の対立がみられ,〈平和共存〉と〈民族解放〉が容易に両立しうる目標ではないことが明らかになったが,中ソ対立の影響がこの分裂傾向に拍車をかけた。その後,加盟国が増加するにつれて,東西の大国に軍事基地を置かせている国や,大国と軍事協力条項を含む友好条約を結んでいる国が多く含まれるにいたり,〈非同盟〉の基準がさらに不明確になった。第6回首脳会議で,主催国キューバや,ベトナム,エチオピア等が〈ソ連は非同盟諸国の最良の友〉だとする方針を打ち出し,多くの国から反発を招いたのも,分裂傾向の一例である。問題点の第2は,運動参加国相互の利害の対立と紛争の激化である。たとえば,産油国による原油価格引上げの影響をもっとも深刻に受ける第三世界の貧困な非産油諸国が,首脳会議で原油二重価格制を主張したが産油国側から拒否されるなど,非同盟諸国どうしの利害対立が表面化している。他方で,エチオピア・ソマリア紛争,アルジェリアとモロッコの対立,エジプトと他のアラブ諸国の不和,イラン・イラク戦争,カンボジアをめぐるベトナムとASEAN(アセアン)諸国の対立など,第三世界内部の紛争も多発している。82年のバグダード首脳会議の流産は,そうした紛争の直接の影響によるものである。第3に,多くの技術的性格の困難さが問題になる。100ヵ国近くの多忙な首脳を一堂に集めるのは不可能に近くなっており,代理出席の増加による首脳会議の権威低下が指摘されている。また,全部の参加国代表が一般演説をするだけで数日かかるうえに,すべての決定が全会一致方式なので会議が非常に長引く,ごく一般的な宣言や決定以外は成立しにくい,などの弊害もあらわれてきている。
激化する軍拡競争や多発する地域紛争に対して,内部対立に悩む非同盟運動はほとんど重要な役割も果たせなくなりつつある。それが分裂や解体を回避し,しかも大胆なイニシアティブを国際社会において発揮しうるようになるためには,〈支配を基礎にした古い国際秩序〉の改革(第1回首脳会議宣言)という,〈非同盟〉本来の目標を再確認することが不可欠であろう。
→南北問題
執筆者:木戸 蓊
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報