頓阿(読み)トンア

デジタル大辞泉 「頓阿」の意味・読み・例文・類語

とんあ【頓阿】

[1289~1372]鎌倉末・南北朝時代の歌人。俗名、二階堂貞宗比叡山で修行し、のち諸国を行脚。和歌を藤原為世に学び、二条派を再興。和歌四天王の一人。「新拾遺和歌集」の完成に尽力。著「井蛙せいあ」「愚問賢註」、家集「草庵集」など。

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精選版 日本国語大辞典 「頓阿」の意味・読み・例文・類語

とんあ【頓阿】

  1. ( 「とんな」とも ) 鎌倉・南北朝期の僧侶。歌人。俗名二階堂貞宗。二条為世(ためよ)に師事し、兼好、浄弁、慶運などとともに和歌四天王の一人といわれた。兼好と親交があった。為世没後、その孫為定・為明に仕え、撰の途中で没した為明をつぎ、「新拾遺和歌集」を編纂二条家歌学の再興につとめ、歌壇に大きな影響をおよぼした。家集に「草庵集」他、歌学書に「井蛙(せいあ)抄」や良基と問答形式の「愚問賢註」、随筆「十楽庵記」、日記「高野日記」などの著作がある。正応二~文中元年(一二八九‐一三七二

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「頓阿」の意味・わかりやすい解説

頓阿(とんあ)
とんあ
(1289―1372)

鎌倉末・南北朝時代の歌僧。「とんな」ともいう。俗名二階堂貞宗(さだむね)。泰尋(たいじん)、感空とも自称したらしい。若くして比叡山(ひえいざん)に上って修学し、のちに金蓮(こんれん)寺の浄阿門に入り時衆となる。その後、二条派の歌人と親交し、詠歌の実力を認められ、1315年(正和4)の『花十首寄書(よせがき)』に加わる。勅撰(ちょくせん)集では『続千載(しょくせんざい)集』に初入集し、以後の勅撰集にもあわせて46首入集。公武僧にわたり交際が広く、多くの歌会に出座、兼好、浄弁(じょうべん)、慶運(きょううん)らとともに、二条為世(ためよ)門の「和歌四天王(してんのう)」とよばれた。足利尊氏(あしかがたかうじ)・直義(ただよし)の信任を得て『高野山金剛三昧院(こうやさんこんごうさんまいいん)奉納和歌』の作者にもなり、歌壇の重鎮的存在となった。また、二条為明が撰集のなかばで没した『新拾遺集』の完成に尽力した。家集『草庵(そうあん)集』『続草庵集』、歌学書に『井蛙(せいあ)抄』、二条良基(よしもと)の質問に答えた『愚問賢註(ちゅう)』などがある。彼の歌風は二条派の正統たる温雅な歌体を継承し、当代室町江戸時代を通して多くの影響を与えた。

 月やどる沢田の面(おも)にふす鴫(しぎ)のこほりよりたつ明け方の空
[稲田利徳]



頓阿(とんな)
とんな

頓阿

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「頓阿」の意味・わかりやすい解説

頓阿
とんあ

[生]正応2(1289)
[没]文中1=応安5(1372).3.13. 京都
南北朝時代の僧侶,歌人。俗名,貞宗。父は二階堂光貞。 20歳前後に出家して比叡山で修学,のち四条道場金蓮寺に出入りした。東山双林寺に住んだこともあるが,晩年は洛西の蔡花園 (さいけえん) に住んだ。二条為世の門弟で和歌四天王の一人。建武2 (1335) 年の『内裏千首歌』,興国5=康永3 (44) 年の『高野山金剛三昧院奉納和歌』,正平 22=貞治6 (67) 年の『新玉津島歌合』その他多くの歌会,歌合に参加。勅撰集『新拾遺和歌集』は撰集なかばで撰者二条為明が死去したので,頓阿がその業を継ぎ完成させた。『続千載集』以下の勅撰集に 44首入集。家集『草庵集』,『続草庵集』 (66?) ,『頓阿法師詠』 (57) のほか,数種の百首歌が伝存する。また歌学書『井蛙抄』 (6巻,60~63) がある。『愚問賢註』は二条良基の問いに頓阿が答えた良基の聞き書きである。

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百科事典マイペディア 「頓阿」の意味・わかりやすい解説

頓阿【とんあ】

鎌倉・南北朝期の歌人。〈とんな〉とも。俗名二階堂貞宗。武家の出。24歳ごろ出家。和歌を二条為世に学び,《新拾遺集》撰定にあずかった。二条派の代表歌人。兼好・浄弁・慶雲と合わせ和歌四天王と呼ばれた。《草庵集》などの家集,《愚問賢註》《井蛙抄(せいあしょう)》などの歌学書がある。
→関連項目雑談二条家(歌の家)二条良基吉田兼好

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改訂新版 世界大百科事典 「頓阿」の意味・わかりやすい解説

頓阿 (とんあ)
生没年:1289-1372(正応2-文中1)

鎌倉・南北朝期の僧侶,歌人,歌学者。〈とんな〉ともいう。俗名二階堂貞宗。京都の人。二条為世に師事し,その没後も二条宗家に仕えた。《新拾遺和歌集》の撰の途中で没した二条為明を継いで同集を完成した。兼好,浄弁,慶雲とともに,和歌四天王と称される。家集に《草庵集》《続草庵集》,歌学書に《井蛙(せいあ)抄》や二条良基と問答形式の《愚問賢註》などがある。〈月宿る沢田の面にふす鴫の氷より立つ明方の空〉(《続草庵集》)。
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朝日日本歴史人物事典 「頓阿」の解説

頓阿

没年:応安5/文中1.3.13(1372.4.17)
生年:正応2(1289)
南北朝時代の歌人。「とんな」ともいう。家系には異説もあるが,俗名は二階堂貞宗。比叡山で出家,高野山に修行し,のち時衆となる。二条為世門の和歌四天王に数えられ,足利尊氏・直義の信任も厚く,貞治2/正平18(1363)年の歌論書『愚問賢注』は二条良基の問いに答えたもの。翌年『新拾遺集』編纂の折,選者二条為明 が業なかばで病没すると,そのあとをうけて完成させた。平明温雅な歌風は,室町・江戸時代を通じて二条派,堂上派和歌の規範となる。歌論書『井蛙抄』,紀行『高野日記』,家集『草庵集』『続草庵集』『頓阿法師詠』があり,『続千載集』以下の勅撰集に44首入集。<参考文献>井上宗雄『中世歌壇史の研究―南北朝期―』

(三角洋一)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「頓阿」の解説

頓阿 とんあ

1289-1372 鎌倉-南北朝時代の僧,歌人。
正応(しょうおう)2年生まれ。京都金蓮(こんれん)寺(時宗)の真観(初代浄阿)の門下となる。二条為世(ためよ)にまなび,為世門の和歌四天王のひとりといわれた。二条為明の没後「新拾遺和歌集」の撰集をひきつぎ完成させた。応安5=建徳3年3月13日死去。84歳。俗名は二階堂貞宗。別号に泰尋,感空。著作に「愚問賢註」「井蛙(せいあ)抄」など。
【格言など】春のよの明行くままに山のはのかすみのおくぞ花に成りゆく(「草庵集」)

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旺文社日本史事典 三訂版 「頓阿」の解説

頓阿
とんあ

1289〜1372
南北朝時代の歌人。二条歌学中興の祖
俗名二階堂貞宗。和歌を二条為世に学び,二条良基とともに二条歌学の正統として崇敬される。吉田兼好・浄弁・慶運と合わせて「和歌四天王」と呼ばれた。著書に『草庵集』『井蛙抄 (せいあしよう) 』など。

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世界大百科事典(旧版)内の頓阿の言及

【頓阿】より

…鎌倉・南北朝期の僧侶,歌人,歌学者。〈とんな〉ともいう。俗名二階堂貞宗。京都の人。二条為世に師事し,その没後も二条宗家に仕えた。《新拾遺和歌集》の撰の途中で没した二条為明を継いで同集を完成した。兼好,浄弁,慶雲とともに,和歌四天王と称される。家集に《草庵集》《続草庵集》,歌学書に《井蛙(せいあ)抄》や二条良基と問答形式の《愚問賢註》などがある。〈月宿る沢田の面にふす鴫の氷より立つ明方の空〉(《続草庵集》)。…

【性悪説】より

…中国,荀子の倫理説の中心概念。《荀子》の〈性悪篇〉には〈人の性は悪なり,その善なる者は偽なり〉と説く。偽とは,作為のことで,後天的努力をいう。人は無限の欲望をもち,放任しておけば他人の欲望と衝突して争いを起こし,社会は混乱におちいるであろう。放任しておくと悪にむかう人の性,それは悪といわざるをえない。性の悪なる人間を善に導くためには,作為によって規制しなければならない。先王が礼を作ったのは,人の欲望を規制して社会に秩序を確保するためであった。…

【草庵集】より

…南北朝時代の頓阿の家集。10巻,約1440首。…

【真葛原】より

…《新古今和歌集》巻十一に〈わが恋は松をしぐれの染めかねて真葛原に風騒ぐなり〉の歌を残す慈円は青蓮院門跡であった。文人の愛好した地で,双林寺境内に西行庵があり,ここで没した頓阿の像とともに西行像が安置される。平康頼の山荘も双林寺付近にあり,そこで《宝物集》を著したという。…

※「頓阿」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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