冬寿(読み)とうじゅ

世界大百科事典(旧版)内の冬寿の言及

【安岳3号墳】より

…出土遺物は,盗掘を受けて少なく,鉄槍,棺釘,棺材漆皮,人骨などにすぎない。前室の西側室の壁面に残る墨書銘から,永和13年(357)に69歳で死去した冬寿の墓であることがわかる。冬寿は,燕から高句麗に亡命した人物であるが,いっぽうで,墓主は,高句麗の美川王とする説もある。…

【高句麗】より

…翌年高句麗は馬韓・辰韓などとともに帯方郡を滅ぼし,平壌方面に勢力をのばした。 319年に平州刺史東夷校尉崔毖(さいひ)が,333年に慕容仁の家臣冬寿,郭充らが,338年に趙の有力者宋晃,游泓(ゆうおう)らが,五胡十六国の戦乱で敗れ,高句麗に亡命した。これらの亡命者は高句麗に新しい文化をもたらし,国政をととのえ,軍備を拡張し,複雑な国際環境の中で,積極的に外交をすすめた。…

※「冬寿」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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