世界大百科事典(旧版)内の増尾十郎の言及
【源義経】より
…秀衡のもとに着いた義経一行はその庇護を受けるが,やがて秀衡が死に,頼朝に屈した子の泰衡は衣川の館に義経を攻める。衣川の館にはるばる駆けつけた鈴木三郎重家,その弟の亀井六郎重清,片岡八郎,鷲尾三郎,増尾十郎,伊勢三郎,弁慶らは奮戦するが,弁慶は立往生をとげ,義経も自害する。この合戦の日の朝には常陸坊海尊が逃走する。…
※「増尾十郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
…秀衡のもとに着いた義経一行はその庇護を受けるが,やがて秀衡が死に,頼朝に屈した子の泰衡は衣川の館に義経を攻める。衣川の館にはるばる駆けつけた鈴木三郎重家,その弟の亀井六郎重清,片岡八郎,鷲尾三郎,増尾十郎,伊勢三郎,弁慶らは奮戦するが,弁慶は立往生をとげ,義経も自害する。この合戦の日の朝には常陸坊海尊が逃走する。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
[名](スル)1 別の衣服に着替えること。特に夏冬の季節に応じて改めること。平安時代には、陰暦4月1日、10月1日に行われた。江戸幕府では、このほかに5月5日・9月9日などにも着替える定めがあった。現...