[1] 〘格助〙 体言または体言と同資格の
語句を受ける。
[一] 連体格用法。受ける体言が、下の体言に対して修飾限定の関係に立つことを示す。現代語では「の」が用いられる。→語誌(1)。
①
(イ) 下の実質名詞を、所有、所属その他種々の関係において限定、修飾する。
※
古事記(712)上・歌謡「さ婚
(よば)ひに 在立たし 婚ひに 在通はせ 太刀
賀(ガ)緒も いまだ解かずて」
※
万葉(8C後)五・八四四「妹
我(ガ)家
(へ)に雪かも降ると見るまでにここだも乱
(まが)ふ梅の花かも」
(ロ) 下の実質名詞を省略したもの。→語誌(2)。
※古今(905‐914)雑上・八七三・詞書「五節のあしたに、
かんざしのたまの落ちたりけるをみて、誰
がならんととぶらひてよめる」
(ハ) 数詞を受け、下にくるべき「もの」「ところ」等の名詞を省略したもの。「…に相当するもの」の意を表わす。①(イ)の中の、数詞を受ける用法が特殊化したもので、
近世の用法。→
がもの。
※
咄本・譚嚢(1777)
小豆餠「
朋友の病気久しい事、だまっても居られず、ひきの屋へ小豆餠百
が取にやり」
② 下の形式名詞(「から、ごと、むた、まにま、ため」等)の実質、内容を示す。
※万葉(8C後)六・一〇三八「ふるさとは遠くもあらず一重山越ゆる我(ガ)からに念ひそ吾がせし」
※仏足石歌(753頃)「御足跡(みあと)作る 石の響きは 天に到り 地さへ揺すれ 父母賀(ガ)為に 諸人の為に」
[二] 「形容詞+さ」の形に続き、感動を表わす。「さ」は体言を作る接尾語であるから、この用法は、形式的には(一)の連体格用法といえるが、意味的には「…が…であることよ」と下の形容詞に叙述性が認められるので、(三)①の主格用法と同じである。(一)の用法から(三)の用法への過渡的用法と見られる。→語誌(3)。
※万葉(8C後)一五・三六五八「
夕月夜(ゆふづくよ)影立ち寄り合ひ天の河漕ぐ舟人を見る
我(ガ)羨
(とも)しさ」
[三] 連用格用法。受ける体言が、下の
用言に対して修飾限定の関係に立つことを示す。
① 主格用法。→語誌(4)。
(イ) 従属句、条件句の
主語を示す。→語誌(5)。
※古事記(712)上・歌謡「青山に 日賀(ガ)隠らば ぬばたまの 夜は出でなむ」
(ロ) 連体形で終止し、余情表現となる文の主語を示す。
※万葉(8C後)一八・四〇三六「如何にある布勢の浦ぞもここだくに君我(ガ)見せむと我を留むる」
※源氏(1001‐14頃)若紫「雀の子をいぬきが逃しつる」
(ハ) 言い切り文の主語を示す。
院政時代から現われ始める。→語誌(6)。
※今昔(1120頃か)二二「年十三四許(ばかり)有る若き女の、薄色の衣一重・濃き袴着たるが、扇を指隠して、片手に高坏(たかつき)を取て出来たり」
② 対象格用法。希望、能力、好悪などの対象を示す。
※今昔(1120頃か)三一「其が極て見ま欲く思給へ候しかば」
[2] 〘接助〙 (格助詞の(三)①の主格用法から転じたもの) 活用語の連体形を受け、上の文と下の文とを種々の関係において接続する。院政期から多く現われる。→語誌(5)。
(イ) 因果関係のない、単なる接続を示す。
※今昔(1120頃か)一四「三井寺の智証大師は若くして唐に渡て、此の
阿闍梨を師として真言習て御
(おはし)ける
が、其も共に新羅に渡て御けれども」
(ロ) 逆接の関係において接続する。…けれども。…のに。
※保元(1220頃か)下「朱雀院は、母后の御すすめによって、御弟、天暦の御門にゆづり奉られしが、御後悔あって」
(ハ) (推量の意をもつ助動詞「う」「よう」「まい」を受けて) 事柄を列挙して、そのいずれにも拘束されない意を表わす。推量の意味をもつ語を受けるため、仮定の逆接条件文となる。近世以後の用法。
※滑稽本・浮世風呂(1809‐13)三「上つ方の御奉公する女中衆を見さっしゃい。羽二重だらうが絹だらうが皆短くあそばすネ」
[3] 〘終助〙
① (文末にあって、常に助詞「も」を受けて) 実現できそうもないことを望む意を表わす。この下にさらに感動を表わす助詞「も」「な」の付くことが多い。→語誌(7)(8)。
※書紀(720)雄略一二年一〇月・歌謡「我が命も 長くも鵝(ガ)と 言ひし工匠(たくみ)はや」
※徒然草(1331頃)一三七「心あらん友もがなと、都恋しう覚ゆれ」
② 文末にあって感動を表現する。
(イ) ((二)(ロ)の用法の、逆接関係で続くべき下の文を省略したところから生じた用法) 感動を表わす。
※天草本平家(1592)一「ココニワ ダイナゴンドノコソ ゴザッタモノヲ、コノ ツマドヲバ カウコソ idesaxeraretaga (イデサセラレタガ)、アノ キヲバ ミヅカラコソ vyesaxeraretaga (ウエサセラレタガ)、ナドト ユウテ」
(ロ) 名詞または名詞にののしる意の接尾語「め」の付いたものを受けて、感動を表わす。ののしりの気持が強められる。
※歌舞伎・百夜小町(1684)一「エエ無念な。阿呆どもめが」
[語誌]((一)に関して) (1)格助詞としての用法(一)は、ほとんどすべて「の」助詞の用法と相重なるが、両助詞の機能的な差異から、自然とその使用環境は微妙な差異を示す。すなわち(一)の連体格用法で、第一に、人を表わす体言を受ける場合、待遇表現上の区別が認められる。「が」助詞が用いられた場合には、「万葉‐三八四三」の「いづくそ真朱(まそほ)掘る岳こもたたみ平群(へぐり)の朝臣(あそ)我(ガ)鼻の上をほれ」、「万葉‐八九二」の「しもと取る 里長(さとをさ)我(ガ)声は 寝屋戸まで 来立ち呼ばひぬ」、「平家‐三」の「少将の形見にはよるの衾、康頼入道が形見には一部の法花経をぞとどめける」の例のように、その人物に対する親愛、軽侮、憎悪、卑下等の感情を伴い、「の」助詞が用いられた場合には敬意あるいは心理的距離が感じられる。第二に、受ける語の種類が「の」助詞より狭く、従ってその関係構成も狭い。ただし「が」助詞には、(一)(二)(三)を通じて「の」助詞の受け得ない活用語の連体形を受ける用法がある。ここに、「が」助詞が接続助詞にまで発展する可能性を秘めている。
(2)連体格用法のうち、①(ロ) のような用法を準体助詞とする説もある。
(3)(二)の用法を山田文法では「喚体句」と称する。
(4)日本語には本来主格を示す助詞はなく、「が」助詞の主格用法((三)①)も(一)の連体格用法から出たものと考えられる。従って古くは述語が終止形をとることはなく、①(イ)または①(ロ) のような用法に限られていたが、次第にその制約を脱して①(ハ) が現われ、現在に至っている。
(5)主格用法の(イ)の場合、上代には体言を受けるもののみであったが、中古以後活用語の連体形を受ける例が現われる。これは接続助詞への発展の直接的契機である。
(6)院政時代の例は活用語の連体形を受けるもののみで、まだ自由な用法になり切っていないが、中世末には体言をも受けるに至り、何ら制約のない主格助詞として完成し、現在に至る。((三)に関して)
(7)「が」の受ける語が、あってほしいもの、そうあってほしい状態を表わす語であるところから考えると、「万葉‐一〇五九」の「在り杲(がほ)し 住みよき里の 荒るらく惜しも」や「万葉‐三九八五」の「たくましげ 二上山は〈略〉神柄や そこば貴き 山柄や 見我(ガ)ほしからむ」等の「がほし」と関係がありそうである。また、疑問感動の係助詞「か」が、「も」助詞と重なったために連濁を起こしたもので、「てしか」「にしか」とも関係がある、とする説もある。
(8)「が」単独の例よりも、下に「も」「な」を伴った形で用いられることのほうが多いので、「がも」「がな」を一つの助詞として扱うことが多い。「がな」の形は中古以後のものである。