精選版 日本国語大辞典 「エドワード黒太子」の意味・読み・例文・類語
エドワード‐くろたいし【エドワード黒太子】
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プランタジネット朝イングランドの王エドワード3世の長子。黒太子の呼名は着用していた甲冑の色に由来するといわれる。百年戦争の武勲で著名。16歳でクレシーの戦にイギリス軍を指揮して勝利に導き,1356年ポアティエではフランス王ジャン2世の軍を破って同王を捕らえた。さらに63年にはフランス軍を支援するスペインに遠征して勝利を収めた。しかしこの遠征費を調達するために,アキテーヌ侯という地位でガスコーニュの臣下に重税を課したため,彼らによってフランス王に訴えられた。しかし黒太子は王に対し挑戦的な態度に出たため,69年両国に戦闘が再開された。71年に病のために帰国したが,当時政治の実権をもっていた弟のジョン・オブ・ゴーント(ランカスター公)に対立する司教たちを援助して名声を上げた。彼の息子はのちにリチャード2世として即位する。1348年ころ創設の〈ガーター騎士団Knights of the Garter〉の一指導者であったが,これは今日のイギリスの代表的勲章であるガーター勲章のはじまりである。
執筆者:佐藤 伊久男
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
1330~76
イングランドの皇太子でエドワード3世の長子。百年戦争の初期,弓兵を率いて勇戦し,武名をあげた。黒太子の名は着用した甲冑の色に由来するといわれる。1356年ポワティエの戦いで捕虜にしたフランス王ジャン2世に臣従の礼をもって侍した話は有名で,中世騎士道の華とうたわれた。のちフランス西部の領土を統治,カスティリャに遠征したが,帰国後病没。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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