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ローマ皇帝。在位211-217年。カラカラとは,彼がローマに持ち込んで着用を流行させたケルト人の外套にちなむあだ名であり,正式にはマルクス・アウレリウス・セウェルス・アントニヌスMarcus Aurelius Severus Antoninusと呼ぶ。セプティミウス・セウェルスとユリア・ドムナの長子として生まれる。父帝の在位中,弟ゲタとともに共同統治者となるが,父帝の死後,兄弟の間がらは悪化し,母后の尽力にもかかわらず,212年,彼は弟帝とその与党2万人余りを殺害してローマ帝国の単独の支配者となった。彼の統治政策のなかでも特に有名なものに,212年の〈アントニヌス勅法〉がある。この告示は帝国内のすべての自由民にローマ市民権を付与することを認めたものである。これによって,ローマ人と属州人との区別はなんの意味も持たないものとなり,従来の都市国家的基盤の上に築かれたローマ帝国の支配構造が名実ともに失われたことになった。しかし,そのねらいはローマ市民に課される相続税の増収にあったと言われている。彼は第二のアレクサンドロス大王をめざし,ゲルマニアや東部属州地域への外征を繰り返した。そのため,国家財政は危機に陥り,品位の悪化したアントニニアヌス銀貨を発行して急場をしのいだので,この銀貨の改鋳は3世紀のインフレ政策のモデルとなった。彼は元老院階層に敵対したが,下層民には好意的であり,精力的な浪費家ぶりは恩恵に浴した兵士や民衆の人気を博した。今日ローマに残存するカラカラ浴場の偉容はそのようすをしのばせる。217年メソポタミア外征中に親衛隊長官マクリヌスによって暗殺された。
執筆者:本村 凌二
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188~217(在位198~217)
ローマ皇帝。父セプティミウス・セウェルスと共同統治し,父の死後,弟ゲタを殺して単独で支配。212年には勅令を発し,帝国居住の全自由人にローマ市民権を付与,帝国の都市国家的な名残りを消滅させた。ローマに浴場を建設したが,東方に遠征し,その途中カラエで暗殺された。
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…スコットランドの領有は無理とみてそこからすべての軍を引き上げた。彼の息子カラカラ(在位211‐217)は父の政策を受け継ぐとともに,212年帝国の全自由民にローマ市民権を与える勅法(カラカラ帝告示)を発して,従来のイタリア人と属州人との支配・被支配の関係をなくした。しかし,アラマンニ族とゴート族はドナウ国境を脅かしていた。…
※「カラカラ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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