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第一次世界大戦後、パリ講和会議ポーランド問題特別委員会が独立ポーランドの東部国境とし、1919年12月の連合国最高会議によって認められた線。それはポーランド人居住者が多数を占める地域の東端に沿って引かれたものであったが、ポーランドは、旧王国の要都ビルノを失うので不服であった。20年に開始されたソビエト・ポーランド戦争で、赤軍の攻勢に直面してイギリス外相カーゾンが、7月12日、この線で赤軍が停止して休戦すべきだと提案したため、この名称で知られる。しかし21年のリガ講和条約では、ポーランド国境はカーゾン線よりはるか東の休戦ラインに画定されたため、ポーランド領内に多くの白ロシア(ベラルーシ)人やウクライナ人を含むこととなり、問題を残した。第二次大戦中、ソ連はその失地回復を行い、テヘラン会談ではカーゾン線をポーランド東部国境とすることが非公式に認められ、戦後、ほぼこの線に沿って国境が定められた。
[石井摩耶子]
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第一次世界大戦の戦後処理にあたって連合国最高会議が,1919年12月に画定したポーランドの東部国境線。ほぼ民族自決の原則に従ったものであり,時のイギリス外相カーゾンの名にちなんで名づけられた。しかし,ポーランド‐ソヴィエト戦争の結果,国境線は200km東方に画定された。そのためソ連は43年,米ソ英首脳によるテヘラン会談でカーゾン線復活を求め,45年8月ポーランドとの協定で,現在の国境線が画定した。
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