知恵蔵 「ガザ地区」の解説
ガザ地区
現在、ガザ地区の行政権はパレスチナにあるが、領空・領海はイスラエルが実効支配しており、水や電気などのライフラインもイスラエルの管理下に置かれている。また、地区外へのパレスチナ人の移動も自由ではない。1990年代から隔離フェンスが設置されており、外部に出るには2カ所の検問所を通らなければならない。この出入りもイスラエルが監視している。また最近は物資の窮乏も深刻で、ガザ地区はまさに「巨大な監獄」と呼ばれる状態に置かれている。98年に開港したガザ国際空港も、2001年にイスラエル軍によって破壊され、復旧の見通しは立っていない。こうした中でガザ地区の命綱となっているのが、エジプトに通じる地下トンネルである。数百ものルートがあり、食糧や日用品、医薬品はもとより、家畜のヤギ・羊やロケット弾などの武器まで運ばれているという。
ガザ地区がアラブに編入されたのは、第2次世界大戦直後のこと。1917年からイギリスの統治下に置かれていたが、47年に国際連合がパレスチナ分割案を採択し、アラブ人の居住地となった。翌年、イスラエルが建国宣言をし、それを認めないアラブ諸国との間で戦争が勃発。この第1次中東戦争の後、ガザ地区はエジプトの領土となる。しかし67年、第3次中東戦争に勝利したイスラエルが、ゴラン高原やヨルダン川西岸地区とともに占領。その後、PLO(パレスチナ解放機構)とイスラエルの対立が続く中、とりわけ87年以降、ガザ地区はインティファーダとよばれる民衆蜂起の舞台となった。
92年にイスラエルに労働党ラビン政権が誕生すると和平交渉が進展。翌年、PLOとイスラエルの両首脳は、ガザ地区とヨルダン川西岸地区を「パレスチナ暫定自治区」とすることで合意した。しかしその後、ガザ地区ではPLOの柔軟路線に反発するイスラム原理主義ハマスが台頭、イスラエルも右派が政権の座につき、和平への道は再び暗礁に乗り上げた。2006年1月ハマスは自治評議会選挙で過半数を占め、パレスチナ自治政府の実権を握ることになる。これにより、イスラエルととパレスチナ自治政府の対立は決定的になり、08年12月27日イスラエルはハマスによるロケット弾攻撃への報復として、ガザ地区への大規模な空爆を開始した。その後、国連安全保障理事会の停戦決議などを受け、09年1月18日に停戦したが、23日間にわたる空爆でガザ地区では1300人を超える死者が出ている。なお、現在はPLOの穏健派ファタハが支配するヨルダン川西岸地区との対立が深刻で、パレスチナは事実上2つの政府が併存するという状況にある。
(大迫秀樹 フリー編集者 / 2009年)
出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報