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クリミア戦争 【クリミアせんそう】

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世界大百科事典 第2版の解説

クリミアせんそう【クリミア戦争】 

中近東およびバルカン半島の支配権をめぐって,イギリスフランスサルデーニャオスマントルコの4ヵ国連合ロシアとのあいだで戦われた戦争(1853‐56)。クリミア半島黒海主戦場であったため,こう呼ばれるが,戦火ドナウ川流域バルト海カフカス地方,さらに極東カムチャツカ半島にまで広がった。戦争の背景となったのは,オスマン・トルコ帝国衰退によって生じてきた〈東方問題〉の解決をめぐる,ヨーロッパ諸強国の外交政策衝突であった。


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デジタル大辞泉の解説

クリミア‐せんそう 〔‐センサウ〕 【クリミア戦争】
 
1853~56年、ロシアと、トルコ・イギリス・フランス・サルデーニャ連合軍との間で起きた戦争。聖地エルサレムの管理権をトルコに要求して南下を図ったロシアに対し、阻止しようとするイギリスなどがクリムクリミア半島出兵して参戦。ロシアが敗北した。

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監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
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百科事典マイペディアの解説

クリミア戦争 【クリミアせんそう】

1853年―1856年にわたり,クリミア半島を主戦場として,ロシアと英,仏,オスマン・トルコ,サルデーニャの4ヵ国連合との間に起きた戦争。ロシアの南下政策にともなう東方問題の一局面をなす。
※本文は出典元の用語解説の一部を掲載しています。


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大辞林 第三版の解説

クリミアせんそう【クリミア戦争】
 
1853年からクリム半島で行われたオスマン帝国・イギリス・フランス・サルデーニャ連合軍と,トルコ領内のギリシャ正教徒保護を名目に南下政策を進めるロシアとの戦争。56年パリ条約が結ばれ,南下を阻まれたロシアは専制による社会矛盾が露呈。ナイチンゲールの活躍が有名。


(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典内のクリミア戦争の言及

【アレクサンドル[2世]】より
…在位1855‐81年。ニコライ1世の長男として生まれ,クリミア戦争の敗色が濃くなったさなかに病没した父帝のあとを襲って即位した。1855年11月セバストポリが陥落するや,彼は講和にふみきり,翌年3月パリ条約を締結。…
【パリ条約】より
…フランスはほぼ1789年の国境に制限され,北部と東部の国境地帯の要塞にはフランスの負担で5ヵ年以内同盟軍が駐留すること,フランスは7億フランの賠償金を支払うことが定められた。(5)1856年3月30日,クリミア戦争の終結に際して,ロシア,イギリス,フランス,オーストリア,プロイセン,サルデーニャ,オスマン・トルコの間に結ばれた講和条約。締結国はトルコの独立と領土保全を認め,その内政への不干渉を約し,トルコは国内で宗教,民族の別なく平等の権利を人民に与えることを約した。…
【ロシア帝国】より
…人口は1724年に約1558万,1812年に約4270万と推定され,帝国時代に行われたただ1回の全国国勢調査(1897)では1億2500万(うちロシア人は5560万)であった。 帝国の歴史は18世紀と19世紀に分けることができ,19世紀はさらにクリミア戦争(1853‐56)でその前と後に分かれ,19世紀末~20世紀初めが帝政末期になる。18世紀のロシアは軍事技術から思想,風俗までヨーロッパの文物・制度を貪俗に吸収し,啓蒙専制君主エカチェリナ2世の時代にある意味で模範的な絶対主義国になり,ヨーロッパの一大強国に発展した。…
【ロスチャイルド家】より
…1860年ナポリのロスチャイルド家は閉鎖され,フランクフルト,ウィーンでも家運は衰退に向かった。しかしパリでは67年クレディ・モビリエの瓦解後,ロスチャイルド家は再び指導的な地位を回復し,ロンドンでもクリミア戦争での公債引受け,スエズ運河購入にあたっての金融などで依然として力を発揮した。普仏戦争後の講和交渉でフランスの償金支払を保証し,また早期支払を可能にしたのもロスチャイルド家の金融力であった。…
【露土戦争】より
…(4)19世紀後半 18世紀末以後,バルカンにおいてロシアが大きな足場を築いたことは,同じくオスマン帝国への進出をねらっていた西欧諸国の利益と対立した。聖地エルサレム管理権問題(聖地問題)に端を発してロシア,トルコ両国の戦端が開かれると,イギリス,フランス,オーストリア,プロイセン,サルデーニャはオスマン帝国を支援してロシアに宣戦し,クリミア戦争(1853‐56)となった。ロシアは敗北し,パリ条約(1856)において,(a)黒海は中立地帯とされ,あらゆる国の商船に開放される,(b)ドナウ川は国際管理とされ,あらゆる国の商船に開放される,(c)ワラキア,モルダビアは西欧諸国の保護下に自治を認められる,などの条項を認めることによって,ロシアは,これまで黒海,バルカン方面において獲得してきた特権を放棄することを余儀なくされた。…
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クリミア戦争に近い言葉→ラミア戦争|クリミア半島|クリミア|南ア戦争|ボーア戦争|トロイア戦争|ペルシア戦争|エチオピア戦争|ブーア戦争

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