日本大百科全書(ニッポニカ) 「シャルル(7世)」の意味・わかりやすい解説
シャルル(7世)
しゃるる
Charles Ⅶ
(1403―1461)
バロア朝第5代のフランス王(在位1422~1461)。母はバイエルン公家のイザボーIsabeau de Bavière(1371―1435)。兄2人が早世し、王太子号をとったが、1419年、アルマニャック派の陰謀に加担して、ブルゴーニュ公ジャンを殺害し、王太子号を奪われた。1420年トロア条約で、父シャルル6世はイングランド王家と和解し、1422年、父王の死後「イングランドとフランスの王」を名のる幼王ヘンリー(シャルルの姉カトリーヌCatherine of Valois(1401―1437)の子)が立った。北フランスはイングランド王家の軍勢と、その同盟者ブルゴーニュ公家の勢力下に置かれ、シャルルはロアール河畔に臨時政府をたてた。「ブールジュの痴(し)れ王」の伝説には根拠がなく、彼は冷静に反攻の機会をうかがっていた。ブルゴーニュ公フィリップ2世との和解がシャルルの戦略の要(かなめ)にあり、そのことは1435年アラスの和約に実現された。そこに至る過程に、ジャンヌ・ダルクの参加したオルレアンの戦い、ランスにおける戴冠(たいかん)が位置する。1436年、首都パリを回復したシャルルは、ノルマンディー、ギュイエンヌ方面でイングランド勢力に対処する一方、常備軍の整備、フランス教会の組織改革、政商ジャック・クールを登用しての財政改革など、王政の拡充に努めた。ブルゴーニュ、ブルターニュなど、なお残る大諸侯領への王権の浸透は、彼の代に準備された。王妃マリ・ダンジューの腹に生まれたルイがその仕事を仕上げることになる。1453年、ギエンヌ(ギュイエンヌ)を接収して、百年戦争に終止符を打った。
[堀越孝一 2023年1月19日]