アメリカの映画俳優。ジミーの愛称で親しまれ,1950年代半ばに3本の出演作をのこし24歳で早世,死後,青春の孤独・絶望・反逆のシンボルとして偶像化された。インディアナ州マリオンに生まれ,55年カリフォルニア州で愛用のポルシェ・スピードスターを運転中,事故死した。
アクターズ・ステュディオなどで演技を学び,舞台,テレビドラマをへて,エリア・カザン監督により《エデンの東》(1955)の主役に抜擢(ばつてき)され,〈新しいマーロン・ブランド〉と宣伝されて映画が公開される前にすでにスターとなった。つづいてニコラス・レイ監督の《理由なき反抗》(1955)に主演し,さらにジョージ・スティーブンズ監督の《ジャイアンツ》(1956)に出演したが,その完成前に世を去った。死後のファンの熱狂ぶりは1920年代のルドルフ・バレンチノ以来のものといわれた。
70年代の半ばから,再びジェームズ・ディーンに関する著作や映画が相次いで出る現象が起った。その中で,デービッド・ドルトンの評伝《ミュータントの王》(1974)は,〈ロック世代の感性を表現した最初のアイドル〉とディーンを定義している。レイ・コノリー監督のドキュメンタリー映画《ジェームズ・ディーンのすべて 青春よ永遠に》(1976)は,その原題《最初のアメリカン・ティーンエージャー》が示すとおり,おとなでも子どもでもない〈ティーンエージャー〉という年代の文化が初めて成立した時代に,それを最初に表現した映画スターがディーンであったと定義している。いずれにせよ,〈青春映画〉のイメージの転換点に立つスターであり,彼の表現した,屈折した心情と〈挫折感〉〈死の願望〉にみちた青春像は,〈ポーランドのジェームズ・ディーン〉と呼ばれた《灰とダイヤモンド》(1958)のズビグニエフ・チブルスキーをはじめ各国の青春映画スターに受け継がれ,《アウトサイダー》(1983)のマット・ディロンなど,現在に至るまでつづいている。
執筆者:柏倉 昌美
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… これまでムハンマドの創唱した宗教をイスラムと書いてきたが,コーランはムハンマドに啓示された宗教をただイスラムとだけ呼んだのではない。コーランはそれを特定の名で呼ぶことなく,呼ぶ必要のある場合には適宜イスラーム,イーマーン,ディーンdīn,ミッラmillaなどの用語を用いた。現在普通に認められているところでは,イスラームは唯一の神アッラーに絶対的に服従すること,イーマーンは心のうちなる信仰,ディーンは宗教一般,または内面的なイーマーンと外に現れたイスラームとを統一したものと解され,ミッラはアブラハムの宗教milla Ibrāhīmという言葉に典型的に示されているように,過去の特定の預言者の説いた教え,ないし,そのウンマ(共同体)への所属を意味すると考えられる。…
…さらに70年代には神代辰巳監督の《青春の蹉跌》(1974)で青春=挫折のイメージは極点に達する。アメリカでは《乱暴者》(1954)のマーロン・ブランドや《理由なき反抗》(1955)のジェームズ・ディーン以来,〈反逆する青春〉のヒーローが現れ,青春=反逆のイメージが強まり,ヒッピーを主人公にした《イージー・ライダー》(1969)も学園闘争を描いた《いちご白書》(1970)も,その〈反体制〉の特質のゆえに青春映画の名で呼ばれることになる。なお,《人生劇場 青春・愛慾・残俠篇》(1972)を撮ったときの加藤泰監督の〈映画は青春である〉ということばに象徴されるような,人生=映画=青春という究極の図式にたどりつく〈青春映画〉の定義も考えられよう。…
※「ディーン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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