翻訳|nihilism
ラテン語のニヒルnihil(虚無)に基づく造語。あらゆる既成の宗教的・道徳的・政治的権威や既成の社会的秩序とそのイデオロギーに対する無条件的な否定の立場を表し,虚無主義と訳される。この語が哲学用語として比較的重要な意味で最初に使用された場合の一つとして認められているのは,1799年にF.H.ヤコビがフィヒテにあてた公開書簡の場合であり,そこではフィヒテの観念論がニヒリズムとして非難されている。一説によれば,弁証法を神学の対象にも適用したアベラールの説を継承した12世紀の神学者たちの一派のいわゆるニヒリアニズムnihilianism,すなわちキリストの人間性は偶有性にすぎず,キリストは人間としてはニヒルであるという中世キリスト論が,当時のヤコビたちに影響を与えていたといわれる。B.F.X.vonバーダーの場合になると,ニヒリズムは単に哲学の世界の問題であるにとどまらず,教会の教えに対する抗議という19世紀ヨーロッパ最大の危険思想として社会的に問題とされるにいたる。彼によれば,近代の科学的知性の無節度な展開の結果として信と知の分裂が生じたところにニヒリズムの根源がある。そのことを彼は1826年ミュンヘン大学創設のさいの演説の中で述べた。
だがニヒリズムという語が一般に普及しはじめたのは,ツルゲーネフの小説《父と子》(1862)でニヒリスト(虚無主義者)という表現が用いられたことによってだといわれる。この小説では,急進的インテリゲンチャのバザーロフがその学友アルカージーによってニヒリストと呼ばれている。この意味でのニヒリズムは,ロシアの社会主義運動における一種の反体制的立場として,ヘーゲル左派の影響下に1855年のアレクサンドル2世の即位から70年ごろにかけて盛んであった。チェルヌイシェフスキーは60年代におけるこの種の革命運動の精神的指導者である。また革命的無政府主義の創始者バクーニンはニヒリストたちの党派と手を握って革命を扇動した。
だが現代思想にとって最も重要なのは,ニヒリズムに関するニーチェの思想である。ロシアのニヒリストたちがアレクサンドル2世を暗殺して処刑された年,すなわち1881年の秋の遺稿で,ニーチェはすでに,おそらく彼らの立場を指してニヒリズムという語を用いている(のちのいわゆる〈能動的ニヒリズム〉)。彼がもっと広い一般的な意味でこの語を用いはじめたのは,おそらくブールジェの《現代心理試論》(1883)からデカダンスについて学んだことに関係して,86年夏以来のことである(いわゆる〈受動的ニヒリズム〉)。彼はさらに同年末以降,ドストエフスキーの《主婦》《虐げられた人々》《死の家の記録》《悪霊》などをフランス語訳で読み,地下的・流刑囚的生活者の力強い意志,およびキリスト者の病的な心理について学ぶところがあった。かくして晩年のニーチェの精神史的洞察によれば,人々がプラトンのイデア論以来の形而上学的伝統を通じて,これまで真の実在だと信じこまされてきた超越的な最高の諸価値,特にキリスト教の道徳的諸価値が,今やその有効性を失って虚無化しはじめているが,たとえ根本的には虚無であったにしても,そういう超越的諸価値こそが真の実在だと信じられて,それによって人々がこれまで秩序ある共同生活を送ってきたことこそが,西洋の歴史を根本的に規定してきた論理であると考え,そういう西洋の歴史の論理そのものを彼はニヒリズムの本質と見る。従来は潜在的であったそういうニヒリズムの本質が今や顕在化し,超越的諸価値に対する信仰が失われた結果,人間の共同生活がその根拠を失い,現実世界が実は本質的に権力意志の争いの世界としての様相をもつことが暴露されるにいたった現代の危機的状況を,彼は〈神の死〉と名づける。そういう危機的状況から逃避せず,むしろそれに徹底することを通じてそれを超克しようとする〈ある極端なニヒリズム〉に,彼のすべての根本思想の核心が存する。
これに対してハイデッガーは,ヨーロッパの形而上学そのものが全体としてニヒリズムにほかならず,それはプラトンに始まりニーチェにおいて完結したと見る。彼によれば,形而上学の根本的な問いは,〈なぜそもそも存在者があるのか,虚無があるのではないのか〉という形でライプニッツによって初めて定式化された。形而上学が存在者の充足理由としての存在しか問わなかったことを批判して,存在者としては虚無である存在そのものへの問いに専心した点で,彼の思想は東洋の無の思想によほど接近している。だが総じて東洋の無が肯定的な意味をもつのに対し,西洋のそれは一般に身の毛もよだつ虚無という意味を含意しており,虚無としての意識の否定性のうちに人間の対自存在の深淵をみてとったサルトルの実存思想の場合もまた,現代におけるその顕著な一例である。
執筆者:吉沢 伝三郎
インド思想の中で,〈ニヒリズム〉という言葉が当てられるものとしては,二つばかりある。一つは〈ナースティキヤnāstikya〉で,正統バラモン教,正統ヒンドゥー教の側から,仏教やジャイナ教に対して投げかけられた言葉である。この言葉は,〈ベーダ聖典の規定にのっとって行われる祭式によって来世に獲得される天界は存在しない(ナアスティna asti)〉ということに由来するとされる。つまり,ベーダ聖典を権威と認めない宗教思想を指しているのである。もう一つは仏教の〈空〉の思想である。これは,いわゆる概念的な思考(言葉)によって理解されているものごとは,ありのままの真実ではないということを主張するものであるが,ヒンドゥー教徒などからは,いっさいのものごとの存在を認めない虚無主義と曲解されたのである。
→無
執筆者:宮元 啓一
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「虚無主義」と訳される。通説によれば、「ニヒリズム」はヤコービがフィヒテの知識学を非難して用いたのが最初だとされる。「ニヒリズム」はまた、19世紀の後半、ロシアの社会運動に現れた伝統的権威、政治社会上の諸制度、宗教などを否定し排斥する傾向をさし、盛んに用いられた。しかし今日、「ニヒリズム」ということばを耳にして普通念頭に浮かぶのは、もっぱらニーチェとその現代批判であろう。
ニーチェによれば、「徹底したニヒリズムとは、承認されている最高の諸価値が問題になるようでは、生存は絶対的に不安定だという確信、およびそれに加えて、“神的”であり、道徳の化身でもあるような彼岸(ひがん)ないしは事物自体を調製する権利は、われわれには些(いささ)かもないという洞察のことである」が、現代はそのニヒリズムの到来の時代である。「私が語るのは来るべき20世紀の歴史である。私はやって来るもの、もはや別様にはやって来えないもの、つまりニヒリズムの到来を記すのだ」とニーチェは語る。
[山崎庸佑]
ニヒリズムの「ニヒル」nihilはラテン語で「無」を意味し、それゆえニヒリズムはしばしば「虚無主義」と訳されるが、このニヒリズムは、いったい何が「無」くなったことを主張するかといえば、それは前出の引用文で暗示されたように、「最高の諸価値」が崩壊したことである。「ニヒリズム=目標の欠如、“なんのため?”に対する答えの欠如。ニヒリズムは何を意味するか?――最高の諸価値が無価値化されるということである」(ニーチェ)。すなわち、人間存在に意味を与えてきた世界観的、人生観的な諸価値が「無」くなったがゆえに、ニヒリズムとよばれる精神状況が到来したのである。
ヨーロッパの精神史を支配してきた価値観の根底には、永遠のものを現世的な生成変化の彼岸に置くプラトン主義があった。ニーチェによれば、このプラトン主義の民衆版であるキリスト教とその道徳観において、生成変化する現世的―感性的な生を非難、断罪し、価値あるもの、真であるものを生の彼岸に求める世界観はとくに顕著である。
キリスト教の世界観は――人間と世界を連続親縁(シュンピュイア)の間柄にあるとみた初期ギリシアの汎(はん)自然的で調和(コスモス)的な世界観とは違って――肉と霊、此岸(しがん)と彼岸、自由と摂理といった二元的な差別と乖離(かいり)をもたらし、人間を深い緊張のうちに投げ込んだが、しかし世界の階層的な差別の頂点には神があり、二元的な分裂をそれでも究極のところで統一してはいた。だからこそ、差別が同時に秩序でもありえたわけだが、しかし、いまもしその神への信仰が突然消滅し、差別や分裂が差別や分裂としてのみ残存するに至ったとすれば、いったいどうなるか。すべてが支離滅裂となり、混沌(こんとん)に帰する以外にないであろう。「結局、何がおこったのか? 現存在の全体的性格は“目的”という概念によっても、“統一”という概念によっても、“真理”という概念によっても解釈されてはならない、ということが理解されたとき、無価値性の感情が得られたのである」。
[山崎庸佑]
ニヒリズムという「無価値性の感情」はいったいどこからくるかという問いに対しては、前記のような次第で、社会的な困窮状態や生理学上の変質や心的困窮といったものからではなくて、「一つのまったく特定の解釈、つまりキリスト教的、道徳的な解釈」からくると答えなければならない。
生成変化に超然とした彼岸的真理の秩序、その秩序の根であるキリスト教の神への信仰が動揺し、差別や分裂が差別や分裂としてのみ残存するに至るところにニヒリズムは発生するが、そのことは、「“神的”であり、道徳の化身でもあるような彼岸」、もともと「調製する権利」のなかった虚構に2000年の信を置いてきたことの報いが一転した「無価値性の感情」だということを意味する。あまりにも長く「特定の解釈」に信を置き続けた人間が、その特定の解釈、キリスト教的世界観の動揺を経験するとき、彼はその世界観だけではなく、世界観一般、それどころか世界そのものの無価値性の感情に襲われるのである。
[山崎庸佑]
『西谷啓治著『ニヒリズム』(1972・創文社)』▽『渡辺二郎著『ニヒリズム』(1975・東京大学出版会)』
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虚無主義と訳される。いかなる絶対的な真理も存在しないという認識論上のニヒリズムは,古代ギリシアのソフィストにさかのぼるが,義務や規範を否定する哲学上のニヒリズムは,ニーチェによって取り上げられた。さらに国家や社会秩序を否定する政治上のニヒリズムは,トゥルゲーネフの『父と子』に描かれて以来,1860~70年代のロシアのインテリゲンツィアの思想とみなされるに至った。ナロードニキが西欧ではニヒリストと呼ばれた。
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出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…ニーチェはヨーロッパが依拠してきたいっさいのものを――主体や意識や理性という概念も,科学や宗教や民主主義も――生の実相から離れた虚偽であると看破した。これらの背後にあるプラトン主義やキリスト教も実はニヒリズムの発現でしかないとする彼にとって,唯一の実在は,生成の全体としての自然であり,生の唯一の原理は〈力への意志〉となる。近代的な理性の歴史とその進歩信仰は単なる幕間劇としてその意義を失い,存在の全体の根本性格は無限の時間の中での有限な〈力への意志〉の戯れ,つまり永劫回帰であると彼は言う。…
…ニーチェの用語。〈神は死んだ〉と説いたニーチェにとって,神の死とは単にキリスト教の超克ではなく,ニヒリズムの宣言でもあった。ニーチェによると生の本質は〈力への意志〉であり,力への意志はみずからを維持するために必要な世界解釈を行う。…
…いずれもアフォリズム集である。《曙光》では特に権力感情の分析が展開され,ヨーロッパ的価値観の底に潜むニヒリズムと〈力への意志〉という後期の問題関連の萌芽が認められる。《華やぐ知慧》には批判的解体に伴うペシミズムから新たな晴朗さへの回復がはっきりと認められる。…
…それも人類の歴史の重要な転換期ごとに存在・真理・世界がそのつど別な現象の系列として出現するというだけではなく,それらがきわめて早期からそれぞれの人間的意味を減衰させ,ついには存在と世界の喪失へむかって滔々と流れていくという含みを帯びてくる。すなわち後期ハイデッガーの思想は,その先端において〈ヨーロッパのニヒリズム〉との,ニーチェのそれとはまったく異なる対決へと呼び立てられるのである。この世界はギリシア人のいうコスモスでも,キリスト教徒の信じる摂理の舞台でもなく,もはやいかなる体系化も意味づけをも不可能にする渾沌,無へと突きすすんでいく過程そのものにほかならない。…
※「ニヒリズム」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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