ブレトン・ウッズ体制(読み)ブレトンウッズたいせい(英語表記)Bretton Woods system

百科事典マイペディア 「ブレトン・ウッズ体制」の意味・わかりやすい解説

ブレトン・ウッズ体制【ブレトンウッズたいせい】

米国英国が中心につくった国際通貨体制IMF体制とも。第2次大戦末期の1944年,米国のブレトン・ウッズで開かれた連合国会議(45ヵ国参加)で成立したブレトン・ウッズ協定にもとづく。戦後の通貨安定のため金ドル本位制度固定為替相場制を採用。貿易振興,発展途上国開発などを討議し,国際通貨基金IMF),国際復興開発銀行(世界銀行),国際貿易機構設立決定した。しかし1968年米国が金とドル交換を事実上停止,1971年のスミソニアン体制によるてこ入れも効果をあげず,1973年春までに主要国は固定為替相場制を放棄してブレトン・ウッズ体制は終わった。
→関連項目ニクソン・ショック

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知恵蔵 「ブレトン・ウッズ体制」の解説

ブレトン・ウッズ体制

保護貿易、競争的為替相場切り下げなどが第2次世界大戦の遠因になったとの反省から、国際貿易の自由化と経済成長、雇用促進を目的として創設されたIMF、世界銀行、GATT(WTO前身)を軸とする第2次大戦後の国際経済体制。固定為替相場制を基礎とするIMF中心の国際通貨体制を指して使われることも多い。1944年7月、米国のニューハンプシャー州ブレトン・ウッズにおいて調印されたIMF協定によって、(1)各国は共通尺度としての金、または44年7月現在の量目・純分を持つ米ドルで、その通貨の平価を表示し、為替相場の変動を平価の上下各1%以内に抑えること、(2)平価は基礎的不均衡がある場合にしか変更が認められないこと、などが定められた。この体制は、IMFが加盟国に短期的国際収支赤字のファイナンス資金を貸し出すこと、米国がドルを公定価格でいつでも金と交換すると約束することによって支えられていたが、71年8月にニクソン米大統領がドルの金交換性を停止し(ニクソン・ショック)、終わりを告げた。

(絹川直良 国際通貨研究所経済調査部長 / 2007年)

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ブレトン・ウッズ体制」の解説

ブレトン・ウッズ体制(ブレトン・ウッズたいせい)

第二次世界大戦後の国際金融体制。1944年7月に開かれたブレトン・ウッズ会議でつくられた体制のため,そう呼ばれた。同会議では,国際通貨基金(IMF)国際復興開発銀行(IBRD,通称世界銀行)の設立が決まった。IMFが通貨の固定レート制と安定化に必要な資金を融資し,世界銀行は復興開発を目的とした資金供与を行った。また,戦後の貿易自由化を促進した関税貿易一般協定(ガット)と併せて,戦後の国際経済システムをガット・IMF体制とも呼んだ。なお,71年8月のニクソン・ショック(金ドル交換停止)でIMFの金ドル本位制における固定レート制が崩れ,その後復活の試みがなされたが73年2月までにブレトン・ウッズ体制はほぼ崩壊したといわれている。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「ブレトン・ウッズ体制」の解説

ブレトン・ウッズ体制
ブレトン・ウッズたいせい

1944年のブレトン・ウッズ協定にもとづく国際経済システム。固定相場制,自由貿易維持を目的とし,IMF・国際復興開発銀行に具体化された。貿易は著しく拡大したが,60年代になると体制安定化の役割を担うアメリカの経済力が低下し,71年8月アメリカは基軸通貨ドルと金の交換を停止。同年末10カ国蔵相会議がドル切下げを決定,主要国は73年までに変動相場制に移行し,本体制は崩壊した。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ブレトン・ウッズ体制」の意味・わかりやすい解説

ブレトン・ウッズ体制
ぶれとんうっずたいせい

ブレトン・ウッズ協定

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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