プレブナの戦い(読み)ぷれぶなのたたかい

日本大百科全書(ニッポニカ) 「プレブナの戦い」の意味・わかりやすい解説

プレブナの戦い
ぷれぶなのたたかい

第六次ロシア・トルコ戦争(1877~78)中、1877年7~12月にブルガリア北部のプレブナPlevna(現プレベン)において行われた戦い。ロシア軍は、トルコ軍の守るプレブナの要塞(ようさい)を攻撃したが、兵器も軍事技術も旧式であったうえに、指揮系統の乱れや補給の悪さも加わって、近代的装備のトルコ軍に三度も手痛い反撃を受け、多くの犠牲を出した。ロシア側は、クリミア戦争(1853~56)時の英雄トートレーベン将軍をペテルブルグから呼び寄せ、同年10月要塞を完全に包囲し、これを突破しようとするトルコ軍と12月10日激戦を交え、トルコ軍を降(くだ)して4万3000人を捕虜とした。

[外川継男]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「プレブナの戦い」の意味・わかりやすい解説

プレブナの戦い
プレブナのたたかい
Battle of Plevna

1877~78年の露土戦争中,ブルガリア北部のプレブナでオスマン帝国軍とロシア軍が戦った戦役。オスマン軍はプレブナ方面軍司令官オスマン・パシャが巧妙な戦術を展開して,ドナウ川を渡渉し南下したロシア軍を悩ませた。ロシア軍は3回の突撃と 143日間にわたる包囲ののち,やっと突破した。以後ロシア軍の攻撃は急速に進み,78年1月 31日エディルネで休戦条約が調印された。なおこの戦いののち,オスマン・パシャはスルタンからガージー称号を与えられた。

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