モンテカッシノ修道院(読み)モンテカッシノしゅうどういん

改訂新版 世界大百科事典 「モンテカッシノ修道院」の意味・わかりやすい解説

モンテ・カッシノ修道院 (モンテカッシノしゅうどういん)

529年ころ,ヌルシアのベネディクトゥスローマナポリのほぼ中間の山モンテ・カッシノMonte Cassinoに建てた修道院で,ヨーロッパ修道院の原像とも言うべき存在。581年ころランゴバルド族に破壊され,720年ペトロナクスによって再建されたが,883年にはイスラム軍によって,1046年にはノルマン人によって再び破壊された。新聖堂の建てられた11世紀後半,院長デシデリウスおよびオデリシウスの時代が最盛期であって,写本製作の名声も高かった。1886年イタリア政府は国家記念物に指定した。建物は第2次大戦中の1944年,連合軍の爆撃でほとんど壊滅したが,この修道院の標語〈切り倒すとも芽は萌え出づらんSuccisa virescit〉のようにみごとに再建された。
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世界大百科事典(旧版)内のモンテカッシノ修道院の言及

【ベネディクトゥス[ヌルシアの]】より

…また彼のもとに集まった修道士のために付近に12の修道院を建ててその指導に当たった。529年ころモンテ・カッシノ(モンテ・カッシノ修道院)に移り,以後ここを離れず,晩年の534年以後,彼の唯一の著作〈ベネディクトゥス会則〉を執筆した。 この会則は東方で発生した修道生活の古い伝統を強く継承しながらも,西欧独自の性格を創造した注目すべき文書である。…

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