ヨハネの黙示録 (ヨハネのもくしろく) Revelation of John
目次 美術 1世紀末のキリスト 教黙示文学 。新約聖書 中の一書で,その最後に置かれる。著者 は《ヨハネ による福音書》《ヨハネの手紙》の著者とは別人 。しかし詳細は不明。彼は小アジア西岸近くの小島パトモスに流されており,そこから対岸 のエペソ(エフェソス )その他の都市にある彼の影響 下の教会 にあてて本書 を書いた。自分の見た幻の報告という形をとっているが,これは一種伝統的な表現形式であり,必ずしも彼がすべてを幻として見たということではない。彼はキリストの死はその勝利であったとし,それ以来終末 に向かっての歴史の最後の局面 が,キリストの指揮下に展開しはじめたと見る。キリストは敵対者を滅ぼして神の世界支配 を再び確立し,忠実な信徒を至福 の生活に導く。ただし,それの実現までのしばらくの間,信徒は迫害 を受けなければならない。しかし,それこそがキリストの勝利がすでに確立したことのしるしである。なお本書では,黙示 文学にしばしば見られる人間界に関する二元論 がとくに顕著である。信徒と神に従わない者とは厳然と区別され,一方が他方にかわる可能性は基本的には考えられていないので,たとえば伝道に関する関心もない。その後のキリスト教界では本書の評価は割れた。その記述を文字どおりにとって終末を待ち望む者が出た反面 ,本書はわずかにキリスト教化されたユダヤ教文書にすぎないとして,低く評価する者が少なくなかった。この事情は大筋 において今日も変わっていない。 →黙示文学 執筆者:佐竹 明
美術 世の終末を暗示した《ヨハネの黙示録 》の権威 とその典礼 における役割は,633年トレドの第4回教会会議で確認された。それ以来西欧中世,とりわけイスラム によって支配されたスペインで《ヨハネの黙示録》が好まれ表現された。とくに776年ころ修道士ベアトゥス によって書かれた注釈 書はもてはやされ,10世紀から13世紀にかけて,その注釈書に彩飾 を施した,いわゆるベアトゥス本 が制作された。これは,現存するものだけでも20以上を数え,その最古のもの(10世紀中ごろ)はニューヨークのモルガン図書館にあり,イスラム色の強い強烈な色彩と独特の様式化に特徴をみせている。ドイツではバンベルク で黙示録写本が制作された(1007)。12世紀ロマネスク時代には,教会堂扉口タンパン彫刻として〈黙示録のキリスト〉が登場した(モアサックなど)。14世紀にはアンジェ城 に保管されているタピスリー,いわゆる〈アンジェの黙示録 〉が作られ,さらに15世紀にはドイツの巨匠デューラーによって木版画連作が制作され,迫真性のある場面を生み,宗教改革時代に多くの影響を与えた。 執筆者:馬杉 宗夫
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「ヨハネの黙示録」の意味・わかりやすい解説
ヨハネの黙示録【ヨハネのもくしろく】
新約聖書の最後に置かれる書で,英語では《Revelation of John》。〈黙示〉は〈啓示〉とほぼ同義で,後期ユダヤ教および初期キリスト教で行われた,種々の幻視を通じて神的なできごとを示す一連の文学を黙示文学という。本書はキリスト教黙示文学の代表で,1世紀末の成立。著者は《ヨハネによる福音書》《ヨハネの手紙》の著者とは別人と見られるが,詳細不明。小アジア西岸のパトモス島から対岸のエペソ(エフェソス)ほかの教会に宛てて書かれた。22章からなり,キリストの再臨の近いことを述べ,最後の審判,新世界の出現などを記す。美術作品ではベアトゥスによる注釈に施された写本画(ベアトゥス本),デューラーの木版画連作が有名。 →関連項目千年王国
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ヨハネの黙示録 ヨハネのもくしろく Apokalypsis Iōannou; The Revelation of John
新約聖書最後の書。 Apokalypsis (黙示) は啓示と同義。内容はヨハネに伝えられたイエス・キリストの啓示としての幻視を中核とする物語で,ヨハネから小アジアの7つの教会へあてられている。ヨハネはローマ帝国の迫害にさらされているキリスト教会に対し,さまざまなイメージを伝えつつ,バビロン (ローマ) の陥落,キリストの再臨,キリスト教会の最後的な勝利即キリストの 1000年の支配,サタンの決定的な敗北,最後の審判,新しい天と地との出現を預言し,希望を固くし苦しみを克服するように説いている。「主イエスよ,来りませ」という結びの言葉にはアルファであり,オメガである輝く明けの明星としてのイエス・キリストの再臨への希望が強く表明されている。著者ははっきりわかっていない。
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世界大百科事典(旧版)内の ヨハネの黙示録の言及
【ウマ(馬)】より
…他方,死者の車を死の国に引きゆく獣でもあり,それゆえ死者とともに葬られる例が多く,馬の像(テラコッタ),馬具などを副葬品とすることもある。馬を死と結びつける考え方は,《ヨハネの黙示録》(6:2~8)に登場する4人の騎士などに明りょうだが,他方,馬は神の乗物でもあり(《ヨハネの黙示録》19:11),白馬が聖域で飼われることが多いのはそのゆえである。白馬がケルト,ゲルマン,その他の社会で神意を知るための占いに用いられたのは,人間も及ばぬ優れた判断力をもつからであろう。…
【原始キリスト教】より
…使徒的伝承を委託された教会の伝統,これを排他的に担う教職位階性(監督=司教→長老=司祭→執事=助祭),これらを認めずにキリストを介して神との直接性を主張するグノーシス的〈異端〉の排除,――要するに初期カトリシズムの特徴は,《ヨハネの手紙》《クレメンスの手紙》《イグナティオスの手紙》などにしだいに散見されるようになってくる。他方,ローマ帝国による[キリスト教徒迫害]が,この時期から地域的(とくに小アジア)に強化され,これに対して《ヨハネの黙示録》は皇帝を象徴的に悪魔化し,帝国の滅亡が近いことを予告して信徒を激励する。《ペテロの第1の手紙》や《クレメンスの第1の手紙》は,迫害に苦しむ信徒たちに対してキリストの苦難を提示し,みずからの苦難に耐えることを勧めるが,ローマの官憲には服従することを要求している。…
【最後の審判】より
…[終末論]【川村 輝典】[〈最後の審判〉の図像] キリスト教美術における〈最後の審判〉の図像の起源は,すでに4~5世紀から現れるさまざまの象徴的,寓意的な作例にさかのぼる。まず,世界の終末の恐怖は,《ヨハネの黙示録》4章による獅子・牛・人・鷲の四つの生物および24人の長老たちに取りかこまれ,御座(みくら)に座すきびしい神の姿(ローマ,サン・パオロ・フオリ・レ・ムーラ教会のモザイクなど)に〈最後の日〉の審判者を象徴させ,その後,中世を通じて行われるが,ことにロマネスク時代にその作例は多く,すぐれた大構図を生んでいる(フランス,モアサックの彫刻,12世紀初め)。また,寓意的作例としては,《マタイによる福音書》25章32~33節の〈羊飼い,羊とヤギとを左右にわかつ〉図(ラベンナ,サンタポリナーレ・ヌオボ教会の一モザイク,6世紀)があり,後に西ヨーロッパで〈審判図〉に伴ってしばしば取り上げられる〈賢き処女と愚かな処女〉(《ロッサーノ福音書》の写本画,6世紀)があるが,しかし,この時代,すでに直接にこの主題を取り扱った〈最後の審判〉図の試みが東方で行われていたことは,コスマス・インディコプレウステスの《キリスト教地誌》(バチカン所蔵写本)の中の一図によってうかがいうる。…
【再臨】より
… パウロ以後,苦難と愛と希望が原始キリスト教の重要な倫理となった。《ヨハネの黙示録》が〈最後の審判〉を強調するのはローマ帝国との対決という具体的状況からくるが,再臨に関するこの基本理解は変わらない。しかしその後の教会は制度化をつよめたために中間時的倫理の力動性を失い,その結果第1の来臨と十字架の救いから離れてひたすら再臨を求める異端を生んだといえる。…
【新約聖書】より
…次にヘブル,ヤコブ,第1と第2ペテロ,第1~第3ヨハネ,ユダの手紙が続くが,すべて1世紀末のもので,ペテロやヤコブ,ヨハネなどの使徒たちによる真正の手紙ではない。最後の《ヨハネの黙示録》は,世の終りについて詳細に描写をする[黙示文学]書であるが,著者は《ヨハネによる福音書》の著者と同一ではない。新約聖書が最終的に今日の形態をとるに至ったのは,397年のカルタゴ会議においてであり,それまでは各地方でそれぞれ独自のまとまりをもつ聖書が用いられていたと思われる。…
【聖書】より
…[新約聖書] 新約聖書の構成は《七十人訳》にならっており,書物の配列は次のようである。(1)〈福音書〉4――《マタイによる福音書》《マルコによる福音書》《ルカによる福音書》《ヨハネによる福音書》,(2)〈歴史書〉1――《使徒行伝》,(3)〈手紙〉――(a)〈パウロの手紙〉13通――《ローマ人への手紙》《コリント人への第1・第2の手紙》《ガラテヤ人への手紙》《エペソ人への手紙》《ピリピ人への手紙》《コロサイ人への手紙》《テサロニケ人への第1・第2の手紙》《テモテへの第1・第2の手紙》《テトスへの手紙》《ピレモンへの手紙》,(b)《ヘブル人への手紙》,(c)《公同書簡》7通――《ヤコブの手紙》《ペテロの第1・第2の手紙》《ヨハネの第1・第2・第3の手紙》《ユダの手紙》,(4)〈黙示文学〉1――《ヨハネの黙示録》,合計27巻である。なお〈パウロの手紙〉とは,パウロの名が冠せられている手紙の呼称であって,パウロの実際の手紙であることを意味せず,そのうち6通はパウロの弟子たちが書いたと思われる。…
【デューラー】より
…その秋から翌年の春にかけてベネチアに滞在(第1次)し,同地の出版事情,ことに活字本の木版画挿絵について見聞を得たと思われる。1498年ころ一枚刷りの大版木版画集《受難伝》および《ヨハネの黙示録》を刊行し,精密な斜線を刻むことにより従来の輪郭線を主とした木版画の常識をはるかに超える卓抜な表現に成功し,版画家デューラーの名声は一挙に不抜のものとなった。そのころより銅版画をも手がけ,イタリアの銅版画を範として裸体習作を盛んに試み,その成果がウィトルウィウスの人体比例を応用した《アダムとイブ》(1504)として結実する。…
【ネロ】より
…しかしまたユダヤ教の〈タルムード〉の中には,ネロがパレスティナに定住してユダヤ教に改宗し,ユダヤ婦人をめとり,その子孫から偉大な律法学者が出たという奇妙な伝説もある。キリスト教でも《ヨハネの黙示録》第13章が,新しいネロを獣の数666で示したと解釈され,キリスト再臨の前に再び姿を現し,迫害と偶像崇拝をもたらすアンチキリストとされる。中世には〈かつて母親が世に生みおとした最も悪しき男〉となり,ローマのピンチオ丘のネロの墓の木に巣くった悪霊たちは,1099年教皇パスカリス2世によって駆逐され,そこに〈人民の聖マリア聖堂〉が建立された。…
【黙示文学】より
…紀元前後のユダヤ教,キリスト教の終末論的色彩の強い一群の文書。〈黙示〉は《[ヨハネの黙示録]》の表題として初めて出る表現で,神によって開示された秘密を報告する文書を意味する。一般に黙示文学と呼ばれる文書群は,様式の点で一定しておらず(幻の報告,預言,勧告などを内容とすることが多い),また各文書間に思想内容のズレがある。…
【ヨハネ】より
…これを史実とする学説もあるが,この伝承の成立はあまり古いものではなく(5世紀以降),より古い教会伝承は一致して,使徒ヨハネはその晩年を小アジアで送ったという意見である。まず《[ヨハネの黙示録]》(1世紀末の成立)がすでに,ヨハネが小アジア沖合のパトモス島(1:9)で受けた黙示であるとされている。その後2世紀前半に小アジアのフリュギアのヒエラポリスの監督(司教)であったパピアスを経て,2世紀後半のリヨンの司教エイレナイオスへと至る過程で,使徒ヨハネの名はしだいにエペソ(エフェソス)との結合を強めていった。…
※「ヨハネの黙示録」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」